あのブーニンブームは何だったのか?
1月1日に放映されていたらしい「スタニスラフ・ブーニン~天才ピアニスト 10年の空白を越えて」をNHKオンデマンドで視聴した。
ブーニンと言えばもう、1985年のショパンコンクールだろう。
今から思えば、当時の聴衆の熱狂ぶりはあれは何だったんだろう、という騒ぎだった。
聴衆というより、若い女性といったほうがよいかもしれない。
私も当時、年齢的には若い女性の一人だったのだが、ブーニンの演奏よりも彼の容姿、知的な雰囲気に熱狂する女性ファンの気持ちは今ひとつわからなかった。
そして彼の演奏を異端視する専門家の意見も理解できなかった。
ただただ、異様にスピード感とドライブ感に溢れ、楽しそうに弾きまくるブーニンの姿に目を瞠っただけだった。
しかしクラシック界ではすぐに天才児キーシンが現れ、聴衆の関心はそちらに移ったみたいだった。
それもこれも20世紀でのお話である。
あれからいったい何があったのだろう?
1985年のショパンコンクール後のブーニン
ブーニンは1988年に当時のソ連から西ドイツに亡命している。
亡命後、新しい録音があまりなかった理由は、政治的なことが影響しているのかはよくわからない。
その後、石灰沈着性腱板炎の発症、転倒から左足を骨折し、その手術で壊死した部分を取り除いたため左足が8cm短くなる、という不運に見舞われる。
そして2013年にすべての活動を休止。
番組では、10年の空白があった、と言っていたが私のようなガチのクラシックファンでない者からみると、
「ブーニン? 名前を聞かなくなってからもう20年くらいになるかな」
という感があった。
そう言えば、入院中の車椅子姿を日本の写真週刊誌に写真を撮られ、
「え?ブーニン? いったいどうしちゃったの?」
とびっくりしたこともあった。
感動を与えられる美しい演奏を願うブーニン
10年のブランクを乗り越え、ふたたび聴衆の前に姿をあらわすブーニンの心境は?
左手に不安が残り、杖をつきながらピアノの前に座り、思うような演奏にならないためか、ときおり見せるいら立ちは番組を見ている者にも伝わってくる。
しかし彼は言う。
「技術的に完璧でなくてもいい。人に感動を与えられる美しい演奏がしたい」
その通り。
完璧な演奏だと日本では寝てしまう人がいるからね。
オラフソンの大阪公演がいい例だ。
「ショパンを弾くときは、大げさにならないように気をつけないといけない。
過剰な感情移入はじゃまになります」
そうか!私がそれほどショパンを聴きたくないと思うわけは、過剰な感情がピアニストから醸し出されると、白けるか、または恥ずかしくなるからかもしれない。
あっさり味のショパンなら、私も聴きたいと思い、転じて自分でも弾いてみたいと思うかもしれない。
夫人の栄子さんの愛と献身
ブーニンの再起にかける努力は特筆すべきものと思うのだが、それと同様、私が感銘を受けたのは、夫人の栄子さんの献身ぶりとあまりに大きな「愛」だった。
栄子さんは通訳としてブーニンに出会ったころは、フォルテッシモもフォルテ2つと訳してしまうぐらい音楽に関心がなかったそうだ。
それが今では、リハーサルで彼のテンポが速すぎる、と苦言を呈したりもする。
きっとすごく勉強されたのだろう。
鍵盤が冷たい、と言われれば、鍵盤にカイロを敷き詰め、出番の直前まで彼の手をドライヤーで温めたり。
愛がなければこれだけやってられないだろう。
しかも、再起に賭ける夫の精神的強さに
「惚れなおしました」
と言う栄子さん。
同時に「夫にとって音楽は恋人のようなもの」とも言える度量の大きさ。
病気に怪我に、と不運が続いたかのようにみえるブーニンだが、こんな女性に出会えるなんて、ひょっとして彼は世界一幸福なピアニストなのかもしれない。