夢でささやくピアノ

ジャズピアノとクラシックピアノの両立を目指す、ねむいゆめこの迷走記録

クラシックのテンポ・ルバートとジャズのルバートは違うの?

テンポ・ルバート」vs「ルバート」

えーと、クラシック畑のかたはほとんど必ず「テンポ・ルバート」と言うね。

「ルバート」と省略して言うのは聞いたことがない気がする。

片や、ジャズ畑のひとは「テンポ・ルバート」とは言わず、単に「ルバート」としか言わないようだ。

私はこれを今まで、何でも省略するのが好きなジャズの人の慣例だと思っていた。

しかしひょっとして「テンポ・ルバート」と「ルバート」は別物なのではないだろうか?

こんな疑問を抱くきっかけは、クラシックピアノの先生からは「テンポ・ルバートでテンポを変えすぎ」と言われ、ジャズ師からは「ルバートがまるでインテンポのように機械的」とまるで相反するかのような批評をもらったからである。

ジャズ師のヴァースは独り芝居

現在やっているジャズピアノのレッスン曲「Someone to watch over me」では、前半のヴァースのところで「ルバート」がでてくる。

この曲はもともとミュージカルの挿入歌だから、ヴァースとは、せりふにメロディーをつけて、語り風に歌われることが多い。

だから、最初の「ドシドシソー ドシドシドシソー」はいくぶん早めに・・・

歌詞では「There's a saying old, says that love is blind(恋は盲目という古い言い伝えがあるけれど)にあたる。

師はこの8分音符のテンポをちょっと速めに弾いて、F7で落ち着かせる。

そして言うのだ。

「どうした?どうした?」

そしておもむろに、以下を弾き、

「そやから、どうやっていうねん?」

これはもう、いわば独り芝居である。

ここの歌詞は「Still we're often told, "seek and ye shall find"(探せば見つかるとよく言われるけど)」にあたる。

こうやって微妙に間合いをとりつつ、きわめつけは最後のフレーズ、「Tell me, where is the shepherd for this lost lamb?「この迷える子羊を導いてくれる羊飼いはどこにいるのか教えて!」で、まるでチャイコフスキーのピアノ協奏曲のように壮大な和音を鳴らすのだ。

師は最後の和音でたっぷりと余韻を持たせ、

「ははぁ、そうかいな~」

と深いため息をつく。

ここまではソロピアノの独壇場。

そしておもむろにベースとドラムが参加してくる、という寸法だ。

「要するに、物語がないといかんわけや。

あんたのんは機械的すぎるから、テーマがどこかわからへん。

そやからあとのモンがはいられへん」

それにヴァースの部分ではソロピアノだから、ピアニストの腕のみせどころでもあるらしい。

つまり嵐のようなアルペジオをいれるのもよし、10本の指でそれぞれ違う音を鳴らして壮大な和音にするのもよし。

それもねぇ、できるんやったらやりたいよ、できるんやったら。

結局、クラシックとジャズではどう違うのか

ここまでまとめると、クラシックの「テンポ・ルバート」は「テンポを速くしたり、遅くしたり」で、これが「テンポを揺らす」といわれていることなのか?

いままでクラシックの批評家さん(プロもアマも含めて)、「〇〇のショパンはテンポを揺らしすぎ」とか書いているのをみて、正直??だったのだ。

反して、ジャズのルバートでは、もっともっと自由に崩してよい。

現代に生きる私たちが、平安時代人の流麗な続け字で書かれた手紙が読めないのと一緒で、ジャズに慣れないひとだったら、元メロディーに気がつかないのではないだろうか?

・・・と今のところは認識しているが、また違うことに気づくかもしれない。

女王が歌う「Someone to watch over me」

最後はやっぱりジャズボーカルの女王、エラ・フィツジェラルドの「Someone to watch over me」を。

やっぱり説得力あるわぁ、このかたのボーカル。

今まで「迷える子羊」には似合わないなんて、ホント失礼なことをいってすみませんでした。

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