自分のできていなさがわかってきた
クラシックピアノレッスンではドビュッシーの「月の光」がすでにレッスン6回終了。
思えば最初のレッスンにもっていったとき、「これはもうほとんどできているから」と思っていたのはどうしてだったんだろう?
どうしてそんなに思い上がっていたのだろう?
それからレッスンのたびごとに問題点をあちこち指摘された。
本当は最初のレッスンで私の演奏を聞いた時から、先生は全部ダメなところをいいたかったのかもしれない。
ところがそれを初回に全部言ってしまうと、私がイジけるかもしれないし(?)、そんな時間もなかったのかもしれない。
正直、最初は「え~~ これ、なんであかんの??」と思うことがしばしばあった。
しかし私も最近成長したのか?
「おっしゃる通りです。
ごもっともです。
2連符の長さが揃っていないですね。
右手のメロディーより左手のアルペジオのほうがうるさいですね。
和音ではトップノートの音がいまいち響いていませんね」
と、納得できるようになった。
いわば少しずつ、違いがわかりつつあるのである。
そうするとレッスンの4回目ぐらいから、もうこれは何回かかってもよい、とことんやってやる!と腰を据えてやる気がわいてきたのだ。
キーシンの「月の光」で感じたこと
曲のイメージをつかむためにYouTubeで一流ピアニストの演奏を聞くのはほとんど習慣になっている。
いや、別にマネができるとは思っていないけど。
ところで「月の光」(Clair de lune)で検索してでてくるピアニストはマリア・ジョアン・ピレシュ、ランラン、辻井伸行、メナヘム・プレスラー、キーシン、チョ・ソンジンといったところか。
超有名曲だからもっとたくさんのピアニストがレコーディングしているはずだが、なぜか検索ではこういうひとたちが上の方にくるのだ。
そしてふと思いついて先日から見ているキーシンの「月の光」。
なんか、はっと思った。
私から見てすごくすごく丁寧に弾いているのだ。
キーシンというと天才から巨匠への道をまっしぐらで、超絶技巧を要する曲をバリバリ弾くイメージがあった。
もちろんそういう曲もたくさんあるだろうが、この「月の光」については中間部で猛烈なスピードに走ることなく、エネルギッシュに情熱に身を任せることなく、音を確かめるがごとく誠実に弾いているという感じ。
そうか。これでいいのか!というより、こうでないといかんのか!と思わされた。
キーシンが変わっているというのは本当?
キーシンについてはよく「変わっている」という記事を目にすることがあった。
ふーん、どこが変わっているのだろう?とこれまであまり気にしたことはなかったが。
たしかに多くのピアニストがまずコンクールでの上位成績をもって華々しいデビューを飾っているようなのに、キーシンにはコンクール出場の、いわば実績はないそう。
そして幼少のときから師事した先生がたった一人、というのも珍しいだろう。
「月の光」がきっかけとなってきょうはキーシンのインタビューも何本かみた。
たぶん彼の母国語はロシア語なんだろうけど、私がみたインタビューではすべて英語で話している。
そして母国語ではないから、というのを言い訳にしても、その話し方は立て板に水、には程遠く、ことばを選びながら(つまりながら)トツトツと話すさまをみていると、この人、すごく真面目なんだろうなぁと思えてくるのだが、どうだろう?
10歳でキーシンが経験した最初で最後のコンクール
ところで以前、キーシンが子どもの頃にオーケストラと協演した音楽学院でのコンクールの話を読んだころがあり面白いなぁ、と思っていた。
その多分もとになったと思われる動画をみつけたので下に貼っておく。
- 学校のコンクールでの課題曲を先生にみてもらったとき、先生は「これはもういいから、他の曲をやりましょう」といってコンクールのことさえ忘れてしまい、あとで大変だったこと。
- 初めてオーケストラとあわせて弾いた時は、オーケストラの音もきかず、指揮者のほうもみなかったので、惨憺たるものだったこと。
- 本番では1番のくじをひいてしまい、先生のすすめにより、一番最後のくじをひいた生徒と交換することになり、他の生徒が弾いているときに、先生からいろいろとアドバイスをもらったこと。
- 本番ではちゃんとオーケストラも聴き、指揮者も見、その結果優勝!:「これが僕の人生で経験した最初で最後のコンクールでした」というオチ(?)が笑える!
- www.youtube.com