
次の曲はラモーの「鳥のさえずり」に決めた
バッハのシンフォニアをいちおう終えたからには、もうクラシックピアノはやめようかなぁと思っていた。
しかしなんだかんだいいながら、バーナム先生はすぐれた教師であり(私のフォームの悪いクセをビシバシ指摘してくれる初めての先生である)、先生とのよもやま話も楽しく、結局次のレッスン日を予約してしまった。
「で、次は何の曲にしますか?」
と先生。
私はなぜか
「ラモーの『鳥のさえずり』をやろうと思います」
と言っていた。
あれ、どうしてだろうね。
ついこのあいだまでは、プーランクの「愛の小径」をやるつもりで、「フランスピアノ小品集」を買ったばかりなのに。
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これはねぇ、もう潜在的に、ラモーの「鳥のさえずり」が弾けるために必要な技術を習得すべくこれからも精進するべきだ、という意識があったからであろう。
だって「愛の小径」なんかはようするに雰囲気の問題だろう。
なんとなくそれらしくこじゃれたイメージで弾いていればそれなりに聞こえるのだ(と思う)。
しかし「鳥のさえずり」は私の苦手な装飾音符の連続である。
そしてテンポも速い(少なくともオラフソンの演奏を聴くかぎり)。
これはなんとしても克服すべきではないか。
バーナム先生に徹底的に鍛えてもらうには最適な教材である。
それに「鳥のさえずり」には思うところがある。
ウチは山間部にあり、毎日、毎朝、鳥のさえずりが聞こえる。
それらは実にさまざまだ。
伝統的な
ホー ホケキョ (うぐいす?)から、
ヒュー ヒョロヒョロ
チーッチッチーーチッチーー
などなど。
なかには、
チューチュー チマチョ
というのがあり、このチマチョというのが、ときどき「しましょ」に聞こえるのがおかしくて笑える。
このじつにさまざまのさえずりは、共通点としてはどれもこれも素晴らしく美声だということだ。
窓を閉めてピアノの練習をしているとき、ふと手をとめると彼らの美声が聴こえる。
そして、どうして私はかれらの美しい合唱のじゃまをしているんだろう、と落ち込んでしまう。
ああ、せめて彼らと競えるぐらいに上達しなくては。
ディノラ・ヴァルシによる「鳥のさえずり」
新しい曲をやるにあたって、私がいつもやることは、YouTubeで模範演奏を探すことだ。
それらを繰り返し繰り返し聞くことで、よりイメージに近づけるんではないか、という魂胆である。
ところでラモーの「鳥のさえずり」をアップしているピアニストはそれほど多くはない。
超絶技巧のオラフソンは到底真似ができないので、他のピアニストを探してみたのだが・・・
するとディノラ・ヴァルシ(Dinorah Varsi) というピアニストのが見つかった。
ウルグアイのピアニストだそうだ。
軽快なテンポで、いかにも鳥の楽しそうなさえずりを模倣しているかのようだ。
カメラの撮り方も至近距離。
装飾音符もふつうに弾いているように見えるが、どうして私が弾くと重かったり、ベチャッとしていて、カラっと揚がらない、いやカラッと聞こえないのか、まったく謎である。
佐藤卓史によるラモー「鳥のさえずり」
ところがこれと全然違う演奏を見つけた。
佐藤卓史というかたである。
このかたの演奏を聴いてびっくりした。
テンポがオラフソンやディノラ・ヴァルシと比べると、倍ぐらい遅いからである。
それにノン・レガートというよりも、ほとんどレガートで弾いている。
そしてペダルも使っている。
なのにというか、だからなのか、このかたの「鳥のさえずり」ではさえずっている鳥がオラフソンやディノラ・ヴァルシの鳥よりお上品に聞こえた。
私の耳がどうかしているのだろうか?
なんというか、お上品というより宮廷っぽい感じ。
ラモーというかたは、ルイ14世の統治下で生まれ、40歳になったときにルイ14世の崩御に伴って、ルイ15世が即位した。
つまり、私のフランス語の先生によれば、いちばんフランスの国力が充実した時代で、ブルボン王朝の宮廷の空気を吸った音楽家なのだ。
なんとなく、佐藤卓史氏の演奏のほうが、この時代に近いような気がする。
楽器が現代のピアノではなく、当時はクラブサンだということを差し引いても。
さあ、バーナム先生はどう言われるだろうか?
先生の意見を聞くのが楽しみなので、レッスンにはりきっていこう!