「プラン75」はプロパガンダ映画か?
先日の午後、「きょうは何をみる?」という夫ちゃんに、倍賞千恵子さんのファンである私は、
「プラン75という映画を録画しているから、それにしない?」
と言った。
「それはどういう映画なの?」
と聞く彼に、
「架空の日本が舞台で、75歳になればみな安楽死の権利が与えられるっていうハナシで・・・」
と説明しようとした。
すると、彼は、
「あ、それは政府のプロパガンダ映画だな。
いま、ヨーロッパでは積極的安楽死論がものすごく支持を伸ばしていて、安楽死はいけないというひとが叩かれてるんだ。
だからもうじき日本も、安楽死を合法とするためのプロパガンダをやっているのさ」
でた!彼のお得意の陰謀論である。
しかし私をそれをハナから嗤っているわけではなく、何パーセントかは真実かもしれない、と思っている。
とはいえ、全面的に同調する気にもなれないし、かといって反論するだけの論拠と説得力を私は持ち合わせていない。
第一、日本ではそういう教育を受けていないしね、特に私の世代では。
というわけで、きょうはピアノの練習をそこそこにして、録画しておいた映画「プラン75」を一人で観た。
冒頭に流れるモーツァルトK283第2楽章
ところがピアノの練習はそこそこにしたのに、この映画をみたせいで、急にピアノを、それもモーツァルトを弾きたくなってしまった。
なぜかというとこの映画の冒頭、ぼんやりとした生と死の境目を思わせるような映像のバックにずっと流れるのがモーツァルトのピアノソナタK283第2楽章だったからである。
下に貼ったのは内田光子さんの演奏によるもの。
高貴な香りがふわぁと漂ってくるようなアンダンテだ。
やっぱりこの曲にも挑戦してみようかなぁ。
もうちょっとピアノがうまくなってから死のうか
映画のほうはきわめてスローテンポで、そもそも高齢化問題に関心がないひとにはあまり興味がもてないだろう。
しかし私には75歳と言えばそう遠くない未来だし、倍賞千恵子さん演じるミチのようにいつなんどき独り身となり、働かないと食べていけないのに職がみつからないという絶体絶命の立場になる可能性は充分にある。
だから自分だったらどうするだろう?と自問自答しながら一生懸命画面に眼を凝らした。
そして考えた。
人間の気分にはいつだって波がある。
晴れの日もあれば、大雨、台風の日もある。
たとえば悪天候の日だったら、「あぁ、もう75歳になったから死のう」と思うかもしれないが、きょうのように六甲山の緑が冴えわたり、風も涼しく、「モーツァルトもいいな、やっぱ天才!こんどの曲はこれにしよう!」という気になれば、「やっぱりあした死ぬのはやめとこう、もうちょっとピアノがうまくなってから死のう」と思ったりするだろう。
そういうときはどうすればいいのだろう?
プラン75をすすめる親切な職員さんは、何回でもキャンセル、キャンセルのキャンセルに応じてくれるのだろうか?
倍賞千恵子さんの昔の歌、今の歌
先にも書いたが、私は倍賞千恵子さんが大好きである。
私が子どもだった頃、倍賞千恵子さんは「下町の太陽」とか「さよならはダンスのあとに」を歌う人気歌手だった。
それがいつのまにか歌番組には出なくなってどうしたのかしら?と思っていたら、その後、男はつらいよシリーズのさくらさん役でブレイクし、倍賞千恵子=女優のようになってしまってちょっと残念だった。
もちろん、演技もいいけれど、私はいつまでもあの美しい高音を聴いていたかったのだ。
ところで映画「プラン75」で、倍賞さんはその歌声を披露してくれている。
しかしいかんせん、主人公のミチがカラオケで歌う「リンゴの木の下で」だから、たどたどしくヘタクソに歌っているのだ。
さぞかし大変だっただろうな。