パルティータ1番の全音 vs 春秋社比較
バッハコンクールにエントリーするかどうかは別問題として、パルティータ1番はとても気に入っているので、プレリュードとアルマンドだけは、なんとか仕上げたいと思っている。
そういう意図もあって、すでに全音ピアノピースの楽譜をもっていたにもかかわらず、先生が圧倒的に支持している春秋社版/井口基成氏編も購入した。
それで改めて、全音ピアノピースと春秋社の楽譜のどこが違うかをおおざっぱに言えば、
- 全音にはスラーはあまりないが、春秋社には相当数ある。
- トリルのかたちが違っていて、春秋社のは指番号のつけかたから下からいれる指示になっていると思う。全音のは不確か。よくわからない。
- 指番号がふたつの楽譜では激しく異なっていて、40小節中、指番号が異なる小節は19小節、つまり約半分は違うことになる。
などなど・・・
私はこれまで指番号軽視派だった
ところでお子様ならいざ知らず、大人のピアノ学習者さんはみなさん、指番号を重視していらっしゃるのだろうか?
私はといえば、まったく軽視!
無視とまではいかないが、今に至るまで「こんなんどうでもええやん」といわんばかりである。
もちろん弾きにくい箇所があれば、楽譜上の指番号も考慮に入れ、何回かそれで弾いてみる。
しかしだいたいは、楽譜に書いてある指番号にX印をつけ、自分の好きな指番号を、鉛筆で書き足すのが常である。
私のこの態度はいったいどこからきたのか?
私だって、子ども時代、井口氏のようなスパルタ先生に習っていたとしたら、先生に対する畏怖の念から、言われるとおり、楽譜に書いてあるとおりの指番号で弾けるようにがんばっただろう。
しかし幸か不幸か、私が子ども時代に習った先生は、町のフツーのピアノの先生で、生徒をコンクールに送り込むようなタイプではなく、厳しいことは何も言われなかった。
ほとんど叱られたこともなかった(ように思う)。
でもだいたい、私の性格として、お上からのお達しについては、無頓着なところがあった。
「そんなんどうでもええやん」
「どないかなるやん」
「そんな細かいこと気にせんでええねん」
こうやって今まで生きてきたのである。
4の指5またぎはやったことがなかった
つまり私は楽譜上の指番号なるものをまともに受け取らず、自分勝手に好きなように弾いているのだが、このたび春秋社の井口編をみていて、「ほほーっ、こういう弾き方をするんかい?」と思ったことがあった。
それは4の指が5の指をまたぐことである。
私は今までこんな弾き方はしたことがない。
しかしハノンやツェルニーで、そういう指示をしている箇所があるのかもしれない。
私が気がつかなかっただけで。
面倒くさがらず、楽譜に真剣に向き合うことをやってみる
やってみると、こういっちゃなんだが意外に面白かった。
極端にやるとまるで指がねじれるかのようだ。
上にあげた2例だが、べつだんこんなことをやらなくても、ふつうに4,5で弾けるのに??
井口氏はどうしてこういう指使いを推奨しているのだろう?
でもね、ここで私は考えた。
今までピアノをやってきて、思うほど上達していないからには、何か方法を考えたほうがいいよね。
練習時間を延ばす?
それが正解かもしれないが、またカラダのどこかがおかしくなる可能性が大である。
だったら、今までやらなかったことをやってみるのもひとつの手ではないか?
なにもオリジナリティーを求められているのではない(これが一番むずかしい)。
書いてあるとおりにやってみればいいのだ!
というわけで、これからは面倒くさがらず、真剣に楽譜に向き合おう、と誓ったのだ(いつまで続くか・・・)。