シューマンの「アラベスク」の美しさに感動
クラシックピアノで今やっていること。
あまり楽しくない練習曲シリーズは別として、大きく分けると、バッハはパルティータ1番のプレリュードとアルマンド、その他はシューマンの「アラベスク」である。
「アラベスク」はまだまだ弾き込みが足らないのだが、弾くたびに「わぁ~ええ曲やな、なんでこんなに美しい曲が作れるんだろう!」と感激している。
ところで私のクラシック音楽の愛好間口は大変狭く、好きな曲より嫌いな=やりたくない曲のほうが多いくらいである。
しかし好きな曲はもうメチャクチャ好きなのだ。
何回繰り返しても、何年かけて練習しても飽きない。
数えてみるとそういう曲は約10曲あるかないかだが、ふと「アラベスク」と名の曲つく曲は全部好きだということに気がついた。
どうして私はこんなに「アラベスク」が好きなのだろう?
それをちょっと考えてみたいと思ったのだ。
人生最初のアラベスクはブルグミュラー
思い起こせば人生初めてのアラベスクはブルグミュラーのアラベスクだった。
これと「タランティラ」がブルグミュラーのなかの愛好曲で、これらを聴くたび、子どものときに通っていた音楽教室の経営者のおばさん(母のママ友だった)、そしてピアノのS先生のことを思い出す。
でも当然というか、下の先生のように弾くにはほど遠かったのだけれどね。
大人になってからはドビュッシーのアラベスク
2020年からクラシックピアノレッスンを再開してから選んだのは、もちろんドビュッシーのアラベスク1番。
アラベスク1番についてはブログに過去記事もある。
kuromitsu-kinakochan.hatenablog.com
本当はアラベスク1番が終わってからアラベスク2番もやりたかったのだが、当時習っていた先生から、
「私、この曲知らないし。それにドビュッシーばかりやるのはどうかと思うわ」
と却下されたほろ苦い思い出がある。
そりゃ、1番に比べれば2番の知名度は劣るけどね。
これも可愛らしい曲ではないか。
下の動画のピアニスト、前田さんは、ある箇所で横浜中華街を連想するらしいが、私はなぜか、懐中時計をもったウサギを追いかける「不思議の国のアリス」を連想する。
連想とは、かくも個人によって違うものらしい。
私がアラベスクが好きな理由は「反復」にあるらしい
ちょっとぐぐってみるとわかるのだが、アラベスクというのはもともとアラビア風の幾何学模様というか、唐草模様、平たく言うと泥棒の風呂敷模様の名称からきているようだ。
それがどうして音楽の世界でも使われるようになったのかはいまいちはっきりしない。
わからん。
で、そこはすっとばして、装飾的、幻想的な楽曲をアラベスクと呼ぶようになったとか、幾何学模様が多くの反復を繰り返すことから、反復を多用した楽曲をアラベスクと呼ぶようになった、という説があることがわかった。
私としては装飾的、幻想的よりも反復説に軍配をあげたい。
なぜかというと、私はとにかくクラシック以外の分野、つまりジャズ、ポップスでもキャッチーなリフ、フレーズが大好きだからだ。
気に入ったフレーズがくると、「もっと!もっと!」という気になる。
一方、反復が充分でなく、ささーとメロディーが変化してしまうと、物足りない残念な気さえする。
ひょっとして私は同じことを繰り返す単純作業が大好き人間なのかもしれない。