夢でささやくピアノ

ジャズピアノとクラシックピアノの両立を目指す、ねむいゆめこの迷走記録

クラシックピアノレッスンだって録音したい

先生の指示を確認するために録音したい

前に何回か書いたと思うが、今のクラシックピアノの先生は、生徒にノートをもってこさせ、それに先生がレッスンでやったこと、課題点、問題点、よかったことなどを書いてくださっている。

これにはたぶん二通りの意味があり、ひとつは生徒自身がレッスンでやったことを確認できるようにするためと、もう一つは先生自身が生徒の進捗状況を確認する手段になっているのではないか、と推測している。

そして私は最初の意味、つまり生徒のためを重視しているのであれば、レッスンの録音は不要、ということかなぁ?と思い、ここまでの1年間、録音したことがなかった(本当はできればしたかったのだけれど)。

なぜかというと、私はレッスン中の自分の演奏を聞きたいわけではない。

自分の演奏なら逐一、家でやっていて、それを聞くたびごとに、「わぁ~ こりゃいかんなぁ」と反省しているから。

私が録音したいなぁと思う訳は、先生の指示がいまいちわからないことがあること(私の理解力欠如のせい)と、直接レッスンに関係ないことでも、これは覚えておきたい、ということを先生が話されることがあって、いかんせん、そういうことは家に帰るとすっかり忘れていることがあるからだ。

例として・・・

スケールの各小節を各調で弾くとは?

バーナムの課題で以下のスケールがある。

先生はこれをこの通りでなく、「各小節を各調で弾いてきてください」と言った。

そして模範演技を1回やってくださった。

私は目を皿のようにして先生の手元を見つめ、「あーーそういうこと?」とわかったような気になった。

ノートにも先生は「各小節 各調で」と書いている。

ところが家に帰ると、とたんに「各小節 各調」がどういう意味なのか自信がなくなってきた。

こういうとき、録音があれば(録画だともっといいのだろうけど)、「ああ、そうだそうだ」とすぐわかるだろうにね。

要は下のように弾け、ということだったのだ。

読者のみなさんだったら、

「あたりまえでしょ、各小節各調ということは。ほかにどう弾け、というの?」

と思われるかもしれない。

しかし本当に自慢にならないのだが、私は理解が速いほうではなく、おまけに「わかった、わかった」と言いながらあとでまったくの的はずれだった・・・ということは何回も経験している。

それで次回レッスンにいったとき、

「私の理解であっているでしょうか?」

とこわごわ弾いた。

先生は明るく

「はい、それでいいですよ! ただし次の調に移るときにポーズをとってくださいね」

と言っていたけど。

結果オーライかもしれないが、不安でモヤモヤした気分で過ごしたことを思うと、わからない指示はもう1回聞きなおすか、それさえできない場合を考慮して録音しておいたほうがいいいなぁと思ったのだ。

オネゲルもボーエンも知らなかった

次の例。

これもバーナムの課題で、いわゆる「同音連打」である。

譜面では両手同時に打鍵することになっているが、先生は、

「これ、片手ずつでもいいですよ。

だって両手の同音連打ってピアノ曲ではほとんどないから」

と言った。

そしてそのあとに、可笑しそうに、

「でも全然ないわけではないのよ。

だって私が今度ヴィオラの伴奏をやるコンサートでね、ピアノの両手同音連打がある曲をやるのよ!」

先生はその曲の作曲者を「オネゲル」だか「ボーエン」だかと言った。

どちらも初めて聞く名前で、まったく覚えられなかった。

家に帰ってから気になって調べると、オネゲルとは20世紀の初頭に活躍した「フランス6人組」のひとりだった。この6人については私が知っているのはプーランクだけである。

片やボーエン

19世紀後半に生まれ1961年まで生きたイギリスの作曲家で「管弦楽曲、ピアノ協奏曲、ピアノ曲室内楽曲を多く残した」とある。

知らんかったなぁ。

知っておいた方がいいことは世の中にいっぱいある。

そして私の脳ではそれらは処理しきれない。

やっぱり文明の利器のお世話になったほうがいいと思うのだ。