
車に夢中なのは圧倒的に男性かも
最近ではフェミニズムはもとより、ウォークの台頭で、趣味や価値観に男女の違いはあまりない、とする考え方が一般的であるように思う。
確かに・・・
私ぐらいの世代の女性は小さい時から、「女の子らしくしなさい、女の子は気がきかないとダメ(関西だけ?」と言われ続けて、今に至ったのだけれど(あまり成功しなかったが)。
まさしくボーヴォワール女史が「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」といったように。
しかしね。
私は電車の模型やミニカーに夢中の少女はみたことがない。
また成人してから、車を運転する女性は多くても、その車自体をマニアックに愛する女性にも会ったことがない。
映画のタイトルになっている「グラン・トリノ」は1970年代に製作されたフォードの車種らしいが、マニアの垂涎となっているクラシックカーのひとつらしい。
実は姫路の「トリノ・ミュージアム」にも展示してあり、私と夫ちゃんは姫路城見学のついでに訪れたのだが、私はさっぱり覚えていない。
ところが夫ちゃんは姫路城よりもこちらのほうに感激したのだ。
この差はなんだ!
映画「グラン・トリノ」のあらすじと予告編
映画「グラン・トリノ」の主人公コワルスキーはフォードで組立工を50年も勤めた退役軍人。
妻を亡くしてからは所有しているグラン・トリノをぴかぴかに磨き上げることと、庭仕事以外は近所づきあいもせず、犬のデイジーを相手に暮らしている。
しかし隣家の東洋人(モン族)少年、タオがチンピラにそそのかされ、グラン・トリノを盗もうとしたことから、コワルスキーとモン族ファミリーとの奇妙な交流が始まるのだが・・・
しかしモン族って何?
要は中華系ってことでしょ?
私のこの疑問に、コワルスキー役で監督のイーストウッドが、タオの姉、スーの口を借りて説明してくれている。
モン族とはベトナム戦争のおりにアメリカに加担したことで東南アジアにはいられず、命からがらアメリカに逃げてきた、もとはといえばラオス・中国・ベトナムで暮らしていた山間民族なのだった。
そしてコワルスキーの胸の奥深くには常に自分を許せない感情が渦巻いている。
それはあまりに根深過ぎて、カトリックの告解でも神父に明かすことはなかったのだ。
それは彼がかつて従軍した朝鮮戦争で、彼の属した部隊のただ一人、彼だけが生還したこと。
そして生き残るためには、タオのような容貌の朝鮮人を13人も殺したこと。
この殺戮によって戦後、勲章をもらったことを恥じていること。
コワルスキー、モン族の少年に男を伝授する
コワルスキーには二人の息子がいるが、その関係はうまくいっていない。
なぜならどうつきあっていいかわからなかったから、と言っているが、それは若い時だったからなのか。
とにかくタオに出会ったときは、コワルスキーが老齢になったおかげで人間関係の綾がわかってきたのか、それともタオとはウマがあったせいなのかわからないが、タオには仕事ばかりでなく、男と男のつきあい方まで伝授する。
いわく、
- 相手の眼をみて話せ
- 握手はしっかりと
- 世間話ではその場にいない人間の悪口を言うのはOK、しかしいる人間の悪口はNG
こういうのって、自分の息子には話せなかったのだろうか?
不思議だ。
コワルスキー、決死の覚悟とその最期
たびたび口から血を吐いたことから、コワルスキーには自分の人生は長くないことを知っている。
朝鮮戦争でのできごとは常に彼の心を苛み、心の平安は決して訪れない。
そんなことから彼は友人となった隣家のタオやスーのために、ひと肌脱ぐことを決意したのではないだろうか?
それで命を落とすことになっても、それがどうだっていうのだ?
結局、彼は丸腰でタオやスーの敵であるチンピラの根城に乗り込み、ハチの巣のように撃たれるのだが、彼自身としては満足できる最期であったように思う。
御主人さまのコワルスキーはリッパな最期を飾ったのだが、愛犬のデイジー(ラブラドール)はどうなったのだろう?
私はこれが気になってしょうがなかった。
しかし映画の最後、タオがデイジーをグラン・トリノを乗せて走っているシーンをみて本当に良かったと安堵した。
よかったよ、これ。
最高のエンディングシーンではないか!
