おばあちゃんでもあり、そうでもない年頃
このブログをありがたくも読んでくださる読者様のほとんどは、68歳の私より若いと思う。
そして68歳というと、とてつもなくおばあちゃんで、人生の愉しみも少ないシニアと思われているかたも多いのではないか?
いや、そんなことないで~というのが言いたいためにこのブログを書いているようなものであるが、反面、やっぱりトシやなぁと思うこともある。
昨日、大学時代の友人たちと大阪梅田でお茶会をした。
彼女たちとは大学の合唱サークルで知り合った。
全員同い年の私たちはみな、健康、健脚、そして何より健啖家である。
お茶会で堪能したホイップクリーム
お茶会の場所はパンケーキで有名な(でも私はこれまで知らなかった)Eggs'in Thingsうめきたグリーンプレイス店。
4人のうち3人が選んだのがワイキキセットメニュー。
ホームページでは下の写真が掲載されているのだが、私はどうせ写真向けの盛り付けで、実際のホイップクリームはこんなことはないだろうと思っていた。
しかし実際に運ばれてきたセット内容にびっくり!
広告に偽りなしのホイップクリームの量だったからである。
下はワイキキセットメニュー3人前、プラスいちごのパンケーキ1人前。
しばらくするとホイップクリームが傾いてきた。
まるでピサの斜塔のごとく、である。
いやぁ~
久しぶりに大好きなホイップクリームを堪能した。
そして最初のうちこそ、「食べられるかなぁ~」と心配していたのだが、ほとんど完食だった。
60代後半女子の食欲、恐るべし、である。
もっともおかげで夕飯はほとんど食べられなかったが。
合唱団のステージ衣装は誰が作ったか?
このお茶会で私はまた恥も外聞もなく、ジャンルこそ違うが、また歌を習いたいと思っていることを友人たちに話した。
話しながら私のアタマの片隅には衣装の問題があった。
そうだ、ボーカルのひとはみな、ピアノ学習者以上に衣装が派手なのである。
着飾るのが苦手な私にはまた、アタマが痛い問題が浮上する。
しかし大学の合唱サークルではどうしていたのか?
あのときはステージ衣装としてお揃いの白いドレスを着ていたが、あのドレスはどうしたんだろう?
私はほとんど何も覚えていないが・・・
友人たちの記憶を借りると、あれは生地と型紙を先輩たちから支給してもらい、各自で縫ったそうである!
注文して買ったのではなかったのだ!
私は裁縫はボタン付けがやっとなので、たしか母に丸投げしたはず。
友人たちもみな自分の母親に頼んで縫ってもらったそうだが。
考えてみると、私たちの母はほとんど昭和一桁生まれ。
その頃の女性にとって裁縫はたしなみの1つであり、ワンピーススタイルのドレスを縫うぐらいのことはなんでもなかったのだろう。
今の時代ならどうだろう?
自分で縫えないからお母さんに頼みます、といってもそのお母さんも縫えるかどうか。
第一、手芸やホームソーイングに興味のあるひとしかミシンも持っていないだろうし・・・
しかし1970年代、合唱サークルの衣装をどこかで買うという発想はなかったのだろうか?
タイムマシンに乗って調べてみたい気がする。
そういえば、あの時代、コンビニってなかったよね?
だからおにぎりも売っていなかったはず?
ペットボトルのお茶も売っていたのかどうだったのか?
ああやっぱり1970年代って、はるか昔なんだね。
私たち、こんなに長い道を歩いてここまでやってきたんだ。
まぁ、まだ終わっていないけどね。