夢でささやくピアノ

ジャズピアノとクラシックピアノの両立を目指す、ねむいゆめこの迷走記録

暗譜はできてもあなどれないのが記憶の穴

発表会は暗譜で弾くべきか?

クラシックピアノの発表会は9月後半。

なのに私はもう暗譜できてしまったぞ!(低い鼻が得意げに上を向く)。

だって2曲とも短いからね。

ドビュッシーの「夢想」は4ページ。

ナザレーの「オデオン」は3ページ。

毎日弾いていたら、そら覚えるわ。

でも今の先生には、発表会で暗譜が必要か?とか質問したことがなかった。

そこで先日、先生に

「ずっとお尋ねしようと思っては忘れていたんですけど・・・

発表会は暗譜でないんといけないんでしょうか?」

子どもは手のカタチをみて覚える

すると先生は、

「大人のかたはどちらでもいいです。

おまかせします。

子どもは暗譜必須ですけれど・・・」

と言うので、

「それって『鉄は熱いうちに打て』ということですか?」

と聞いた。すると先生は

「というより、子どもは楽譜を見ながら弾くのが難しいんです。

子どもは弾きながら自分の手のカタチをみて覚えますから」

なるほど。

私にも納得できることがある。

というのは、子どものときに練習して弾いた曲なら、今でも最初の3-4小節目ぐらいまでなら弾ける。

それも楽譜が思い浮かぶのではなく、手が勝手に鍵盤のあるべき場所に移動するのだ。

ベートーヴェンの「悲愴」全楽章も、ショパンの「華麗なる大円舞曲」も。

なのに難易度はさして変わらないのに、大人になってからやった曲なら、ドビュッシーアラベスク1番」も「パスピエ」も、最初の音からしてまったく思い出せない。

ああ、私の脳よ。

存在しているのならせめて返事をしておくれ。

ど忘れと緊張は関係性がないらしい

よく緊張のあまりアタマが真っ白になってしまい、暗譜したのにもかかわらず弾けなくなってしまった、という話は聞く。

私はまだ、幸いにしてそういう経験はないが、今後ありそうなのは、ど忘れ、というか記憶の穴に落ち込んでしまうことだ。

そしてそういうときはたいてい、というか、べつに緊張はしていない。

きわめてリラックスしている。

なのに覚えていたはずのことがでてこない。

もろもろのパスワード、住所(現住所になってから4年目になるがときどきでてこない)、人の名前。

例えば先日、クラシックピアノの先生に、

「高校の同級生に著名なオペラ歌手がいるんです。」

という話をした。

ウチの高校は先生のお子さまたちが将来通う学区でもあるので、先生は非常に興味をもたれたみたいだった。

おカネのかからない公立高校で、著名なオペラ歌手を輩出するほどの音楽教育を施してくれるところがあるならぜひ知りたいし、その歌手は誰?ということだろう。

ところが同級生の名前がどうしてもでてこず、先生はちょっとがっかりされたみたいだった。

幸いにレッスンが終わり、帰るころに思い出したので、めでたしめでたし、だったのだが・・・

自分の前のひとの演奏はスルーする?

これまでの発表会やコンクールのとき、自分の前のひとの演奏は熱心に聞いていた。

他人の演奏を聴くことは音楽性を養う上でとても大事なこととは思うのが、そうしているとかならず、自分の順番がきたとき、

「私は何を弾くの? その曲の最初の音は何?」

という空白状態になるのだ。

だから今後は失礼にならない程度に、前のひとが弾いているときは、こっそりとイヤホンで自分の弾くべき曲を聴くことにしよう、と思う。

ちょうどフィギュアスケートの選手が、自分の前の選手が演技しているときは、耳にイヤホンを突っ込んだままウォームアップをしているように。

やれやれ、老化と闘うのってラクじゃない。

智恵も工夫も必要らしい、ときには。