記憶力の低下はピアノをやっているから実感する
きのうの記事で40代以降、からだの状況はほとんど変わらない、というようなことを書いてしまったが、ひとつ大事なことを書くのを忘れていた。
記憶力の低下、である。
暗譜でクラシックピアノを弾くことは、今の私には高いハードルなのだが、これはもしクラシックピアノのレッスンを4年前に再開していなかったら、気がつかなかったかもしれない。
だってふだんの生活で、記憶力を試されることはあまりない。
ただ、例えばパンを買おうと思ってスーパーに行ったのに、他のものはいろいろ買って、しかし肝心のパンを買うのを忘れた、ということは若い時からしょっちゅうある。
そのときはさすがの私も落ち込むが、そういうことはすぐ忘れることにしている。
そうだね、「忘れる」とか「覚えておかない」というのも、機嫌よく暮らすための処世術にはいるかもしれない。
青柳いづみこ氏が断言する「加齢は暗譜の大敵」
加齢が暗譜の大敵らしい、ことは今読んでいる青柳いづみこ氏の「ピアニストは指先で考える」でも確認できた。
該当する箇所は以下。
暗譜にとっての大敵は、加齢である。ソリストが暗譜で弾く習慣はリストに始まったと言われているが、彼は1847年、たった36歳で公的な演奏活動から引退している。多くの運動選手が引退する年齢だ。
クララ・シューマンも父親のヴィークの指導で幼いころから暗譜の訓練を受け、少女時代は売り物のひとつにしていた。1837年、18歳のときには、ベルリンでべートーヴェンの『熱情』ソナタ全曲を初めて暗譜で弾いているが、40代の終わりごろから記憶力の減退に悩まされるようになり、ブラームス宛ての手紙によれば、演奏会の前日まで楽譜を見て弾こうかどうしようか迷ったこともあるという。
趣味のピアノでも暗譜が必要な場合はあるのか
19世紀に比べれば、現代は平均寿命というか、健康寿命もうんと延びているよね。
しかもリストやクララ・シューマンはバリバリの天才だから、現代人が趣味でピアノを弾くのに、彼らの真似をして、暗譜で弾かなければならない、という理屈はまったく通らないと思う。
趣味のピアノで暗譜が要求されるケースはどれくらいあるのだろう?
まず発表会が思い浮かぶのかもしれないが、これも先生によるだろう。
そしてコンクール。
大人対象のコンクールは別として、コンクールは基本、子どもと若者が対象だから暗譜は必須だろう。
あとピティナステップ。
こちらも暗譜で弾けたらそのほうが評価が高い気がする。
いずれにしろ、若い先生だと「どうして暗譜ができないの?」と思うだろうが、中年以降の先生だと、「暗譜のむずかしさ、わかります」と共感していただけそうな気がする。
スリリングな暗譜肝だめし
ただ私の場合、いくら暗譜が難しいといってもそんなに長い曲を弾くわけではない。
バッハコンクールで弾いたパルティータ1番のプレリュードとアルマンドは合計たった4ページである。
今度ピティナステップで弾くシューマンのアラベスクは7ページあるが、やたら繰り返しが多い。
おなじみのタラッタラーというリフレインのパートが3度も出てくる。
これが覚えられないとはいかがなものか。
いや、自分で作ったメモによると11月6日の欄に「シューマンのアラベスク、暗譜に成功」と書いてある。
それ以来、家で弾く分には暗譜で問題はない。
しかしどうしてなのか、先生のレッスンでは途中であやしくなり、適当にごまかして弾いてしまうことが多い。
先生の前ではいまだ完璧に弾けないのだ。
先生の前で弾けないのに、ピティナステップのアドバイザーの先生の前では弾けるとはあまり思えない。
しかし今のところ、賭けで暗譜でやってみようとは思っている。
どうしてかはわからない。
たぶん私はムチ打ちとか、骨折にならない程度の事故スリルを味わうのが好きなのかもしれない。