クリスマスに「想い出の夏」とはいかに?
12月のジャズ・クリスマスコンサートの申し込みをきょう済ませた。
ミュージシャンへの謝礼と飲食代も含めて15000円。
飲食が洋風松花堂弁当なのを考えると、ちょっと高いかなぁという気もする。
しかし私たちのお相手をしてくださる若手ミュージシャンのためなら、「いや、高くないです。大丈夫です」という気にもなる。
師によると、最近のミュージシャンは大変だそうだ。
ライブの稼ぎといっても全然大したことないらしいし。
だからお教室で教えるとか、私たちのような趣味でやっているものの、アンサンブルのお相手とかも、大事な収入源になるらしい。
すんませんね、いつもお世話になります。
ところで今年のクリスマスに何を弾くかというと、2曲のうち1曲が「The Summer knows (想い出の夏)」。
なんか、季節を無視しているね。
でもこの曲の練習を始めたときは、永遠に夏が続くかと思われたぐらい暑かったのだ。
ところが私の曲の進捗状況より、季節のほうが先にきてしまって、いったい私は何をしていたのだろう?
スカルラッティのイントロには師も賛成だったのだが
ブログの記事を調べてみると、「想い出の夏」のイントロとしてスカルラッティのソナタK466の冒頭4小節を借用する案を思いついたのは、9月の終わりごろだった。
kuromitsu-kinakochan.hatenablog.com
このあとレッスンのとき、この案をどう思うかを師に聞いたところ、
「ええんちゃう? あうと思う」
と言われたので、そのときは「やったぜ!」と思った。
美しすぎるイントロに美しすぎるメロディ
しかし練習で弾いていると、なんかぴんとこない。
もちろんスカルラッティのほうは、楽譜どおりに弾くのではなく、テンポルバートにしたり、和音をつけ足したり、ジャズにあうように工夫はしている。
ドミナントにむかうところからはritして、ドミナントでフェルマータ、とかね。
♭シ♭ラソーーーで伸ばしてから、おもむろに↓の主題、「ド ソ♭ラファー」を弾いているのだが・・・
なんかヘン。
なんかおかしい。
私が思うに、スカルラッティのイントロも、想い出の夏の主題も、美しすぎるのだ。
あまりに美しいメロディーが2つ続くと、美しさがわからなくなる。
やっぱりイントロはイントロで、主題の引き立て役に徹すべきであり、目立ちすぎてはいかんのだ、とそのときは思った。
『位置について、ヨーイドン!』が言えなかった幼稚園児
がしかし、きょうのレッスンで師のベースギターとあわせていると、私のピアノの欠点がわかった。
ここでも私のせっかち、慌て者の性格が災いし、ritのかけ方が充分でないし、フェルマータもいいかげんで、だいいち相手にあわせようという気がうすい、というのだ。
そこで師はこんなたとえ話をした。
「うちの娘がな、幼稚園にいってるときな。
『位置について、ヨーイドン!』いう掛け声が、ちゃんといわれへん子がおってな。
その子が言うと、「いちにつぃてよいどん!」みたいになってしまうねん。
先生はやさしく、『位置について、ヨーイドン!』て教えてくれてるのにな。
スタートをきろうとしてた子らは全員こけてしもてな、まるで吉本新喜劇や」
つまり私のピアノもそんな感じなのだろう。
本当は「位置について」というように相手の気配を察しながら、テンポを落とさないといけない。
相手の動きを確認したら、「ここでいいかな~」というところで、ドミナントの和音をフェルマータで伸ばし、そこからおもむろに主題のメロディーを弾き出すべきなのだ。
ウーン、私も幼稚園からやり直したほうがいいのか?
それにその『位置について、ヨーイドン!』が正しく言えなかった子どもは、大人になったら私みたいになっていないか、とちょっと気がかりでもある。