夢でささやくピアノ

ジャズピアノとクラシックピアノの両立を目指す、ねむいゆめこの迷走記録

足かけ5年で4人のクラシックピアノの先生に習った結果

今の先生に習ってちょうど1年

今月、つまりこの2月で今のクラシックピアノの先生に習うようになってからちょうど1年になる。

前回1月のときに、先生に

「来月で先生にお世話になるようになってから1年になります」

と言うと、

「え?もっと前からきているような気がするけど?」

と言われた。

たぶんおしゃべりが多いせいかな?

だってレッスン時間が1時間あれば、さすがに「きょうは寒いですねぇ」からはじまって、ちょこちょこ世間話をする時間はある。

しかしレッスン時間が30分の先生のときは、そんな時間はまるでなかった。

前の生徒さんが終わるのを見学して、自分の番がくると弾いて、弾いている途中にチャイムが鳴って次の生徒さんが私のうしろで私のレッスンを見ていて・・・

まるでベルトコンベアー式。

やっぱりあれはあんまり好きじゃなかったなぁ。

前の先生たちの何がいやだったのか

子どものときに数年間習ったクラシックピアノのレッスンを再開したのが2020年の夏。

それからほぼ5年経つが、そのあいだに4人の先生に習っている。

ちょっと多すぎる?

もちろん師事した、というようなものではなく、最初のA先生とは私の引っ越しでお別れ、つぎのB先生とC先生は私がまるで美容院を替えるように替えたのだ。

ウーン、私は別に気難しい性格ではないんだけれどね。

何がイヤだったのかなぁ。

B先生もC先生も穏やかで物腰の柔らかい先生だった。

いつもステキなワンピースを着ていらして、良家のお嬢様がそのままピアノの先生になりました、という感じだった。

叱られるとか怒られるとかいうことは一切なかった。

でもどうしてやめたのかというと、先生側からのレッスンのキャンセルや時間・曜日変更が多かったから。

そりゃ、日々の暮らしのなかではいろいろあるからね。

予測不能なことも起きるし。

でも「やむをえず」というよりも、気軽に「替えてくれませんか?」と聞かれ、別にこちらも不可能ではないので「はい、わかりました」と返事し、でもあとでイヤといえない自分にモヤモヤしたものだった。

それからレッスン時間が詰め込みで、必ず前にも後ろにも生徒さんがいて落ち着かなかった。

でもこれは私の認識不足で、音大では先についたら前の生徒さんの演奏をよく聴くこと、と言われるそうだ。

音大の習慣って知らないからねぇ。

まぁ、前のひとのを聴くほうはまだいいが、次の人が私の後ろで待っているというのはやっぱりイヤだったなぁ。

今の先生で気に入っているところ

そんなこんなでめぐりあった今の先生を仮にD先生とする。

この1年のあいだにレッスンの変更のお申し出はたった1回しかなかった。

それも気に入っていることのひとつ。

レッスン時間はおたがいが話し合って決めるが、ふしぎなことにその前後に生徒さんはいない。

先生は続けてレッスンを行うと疲れるので、かならず間隔をあけるようにしているそうだ。

これは先生の本職が指導というよりも演奏活動なので、自分の練習時間を確保したいことからきているのではないかと想像する。

とにかくこれが気に入っていることの二つ目。

そして三つ目が、D先生は私が何の曲をやっているかを把握していること。

これは先生のアイデアで、生徒にノートを準備させ、そのノートに先生がきょうやったこと、問題点などを書いてくれるのだ。

つまり先生は模範で弾いたり、書いたりで大忙しである。

前のB先生とC先生はいつもレッスンの最初に、

「えーと、何でしたっけ?」

と私に聞いていたけれどね。

レベルの高い先生にどこまでついていけるのか

つまりD先生に対する私の満足度は100%に近いのだが、それでもやはり落とし穴があった。

その原因はすべて私にある。

それは先生が要求する曲の仕上がり度が高すぎて、私が追いつけないということだ。

この1年のあいだに、はっきり「合格」はもらったことがない。

いつも発表会やらコンクールやら、なんらかの区切りでこちらが勝手に強制終了しているのだ。

そして習っている生徒さんのレベルが非常に高く、ほとんどが音大卒ですでにピアノ講師であるため、比較するとがっかりすること。

ああ、なんでも物事は都合よくはいかないものだね。

でも先生のおかげで、改めて私はクラシック側の人間ではなく、ジャズ・ポップス系の人間だと思い知ったわけなのだ。

このさきクラシックピアノの上達はあまり望めそうもない。

でもまだクラシックはやめないつもり。

その理由はまたいつか書くかもしれない。