ソ連時代にみた「ドクトル・ジバコ」を再びみた
かの名画「ドクトル・ジバゴ」がNHK BSでやっていたので、録画しておいて、あとで2回にわけてみた。
だって、放映時間が3時間以上あるこの映画を一気にみると疲れるので。
しかし私はこの映画を小学生?中学生?のときに、のちに震災で倒壊した神戸新聞会館大劇場(現ミント神戸)で一気見している。
そのときの感想としては、「なんかようわからんが、これは大作やなぁ」ということだった。
実際、背景としてあるのは、ロシア革命以前とその後の内戦時代なので、当時の情勢に詳しくない子どもとしては、何が何やらわからなかったのである。
そうそう。
あの頃はまだロシアはソ連だった。
そして約20年後にはまたロシアになるとは想像だにしなかった。
そしてあの頃、この映画をみて、「ソ連は寒いとこやなぁ、こんな寒いとこはいややなぁ。そしてすぐ捕まったら殺されるねん。怖いとこやなぁ」と思っていた。
今では捕まってすぐ殺されることはないだろうが、それでも昨今の国際情勢から、ロシアに対して親近感をもつ日本人は私をはじめとしてあまり多くはないであろう。
しかしロシアが生んだ文学、音楽に対する私の憧れは変わらない。
ああ私には、不思議の国ロシアなのだ!
映画「ドクトル・ジバゴ」のあらすじと予告編
1965年の映画「ドクトル・ジバゴ」はパステルナークの小説の映画化。
20世紀初頭のロシア革命からその後数年にわたる内戦時代、妻を愛し、運命の女性ラーラを愛した詩人で医師のジバゴの波乱の生涯を描いている。
ロシアの民族楽器、バラライカを用いたテーマ曲、「ララのテーマ」はつとに有名。
ラーラはバラライカが弾けたのか?
実は大人になってからこの映画に関する批評をいろいろと読むうちに疑問が沸いてきたのだ。
その疑問を解決するために、今回もかなり注意深く映画をみていたのだが、やはりあまり納得がいかなかったことがある。
それはジバゴ(オマー・シャリフ)の母が形見として息子に残したバラライカ。
ジバゴはそれを大事にしていたと思われ、彼の妻、トーニャも彼との別れを予感したのか、彼が拘束されている時、そのバラライカを愛人であるラーラに託している。
しかし、ジバゴ、またはラーラがバラライカを弾くのが趣味だったとは映画では一切語られていない(と思う)。
ところが、この映画の最後の場面、ターニャという娘について、彼女がバラライカの名手であることから、ジバゴとラーラの遺児であることにほぼ間違いがない、と観客に思わせるようなセリフ回しになっている。
そしていろいろな批評では「ラーラはバラライカが得意だった」とある。
え? そうなん?
もしラーラ(ジュリー・クリスティー)が映画中でバラライカを弾くシーンでもあれば納得がいくのだけれど。
だって、楽器をもっているからといって弾けるとは限らないでしょ?
日本でもすごいお金持ちのひとが、自分は弾けないのにバイオリンの名器を持っているという話もあるし・・・
なんか気になってしようがないのだが、こういう些細なことが気になる私っておかしいのか?
バラライカによる「ララのテーマ」
ところで「ララのテーマ」におけるバラライカの音は、私にはマンドリンと区別がつかない。
そこで実際にバラライカで演奏されている「ララのテーマ」の動画をYouTubeで探してみた。
そしてビックリ。
そしてバラライカで思い出すのはもう一つ、神戸三ノ宮にあったロシア料理店「バラライカ」。
家族で何回も行ったことがあり、ボルシチ、ピロシキに舌鼓を打ったものだが、数年前に閉店してしまった。
これは本当に残念だったなぁ。