タイムスリップ物は大好き
私は映画、小説に限らず、タイムスリップ物が大好きだ。
いつからこの趣味が始まったのかと思うと、中学生時代、NHKのドラマでの「時をかける少女」を観てからだと思う。
あの不思議なテーマソングとあいまって、私にとってタイムスリップは忘れられないテーマとなった。
なのでずいぶん前ではあるが、「時をかける少女」についてはこのブログにも書いている。
kuromitsu-kinakochan.hatenablog.com
だからタイムスリップ物として人気のある1986年のアメリカ映画「ペギー・スーの結婚」には期待していた。
なんといっても監督はあの、コッポラだし、主演男優はニコラス・ケイジだし。
ところが結果的にいうと、私にはそれほど面白いというか、感情移入できなかった映画だった。
そしたらどうしてこんな記事を書いているかというと、ピアノや歌がうまくできなかったときの敗因を分析するのと同じことだと思うから。
どうみても主演女優が高校生には無理がある
まずざっくりとこの映画のあらすじをご紹介すると、
主婦のペギー・スー(キャスリーン・ターナー)は夫リチャード(ニコラス・ケイジ)の不倫が原因で別居中、離婚寸前。ところが高校の卒業25周年同窓会に出席したところ、クィーンに選ばれてしまい、その興奮から倒れてしまう。そして目覚めてみると、そこは1960年代で自分は当時の高校生に戻っていた・・・
どうみても無理がありすぎるな、と思ったのが高校生のペギー。
私は最初、ペギーが未来からきたということ、つまり老けたペギーが周囲の高校生の眼には見えない設定になっているのかと思った。
しかしいろいろとネタバレを読んでもそういうことではないらしい。
ということは日本人、というかアジア人が若見えすぎるんだよな。
例えば、綾瀬はるかさんが高校生の役をしたらどうだろうか?
たぶんほとんど違和感はないと思うけど?
しかし、キャスリーン・ターナーの場合、その演技力は素晴らしいのだろうけど、私にはどうして中年女性が高校にいるんだろう、と気になってあまり楽しめなかった。
アメリカ人にはノスタルジックかもしれない
この映画のレビューをみていると、高得点なのに驚かされる。
しかしレビューアーの名前をみていると、多分アメリカ人と思われる名前ばかり。
だから推測するのだけれど、たぶんアメリカ人にとっては時代背景とか当時の倫理観とか、また小道具も懐かしく面白いのではないのかなぁ。
1960年のアメリカ。
デッカい車、ポニーテールの女の子、リーゼントで固めた男の子。
高校生の男女の自由な交際。
1960年というと日本流に言えば昭和35年だから、日本はまだまだここまで豊かではなかったと思う。
そして1960年に戻ったペギー・スーが最初に聞いた音楽は、チャンプス(The Champs)の「テキーラ!」
わ、これは懐かしい、というか私もよく耳にしたことがある。
いまではほとんどスタンダードになっているのではないか?
私はまた、メキシコの民謡かと思っていたよ。
いまいち感情移入できなかった残念な理由
結末についてはもちろんネタバレになるので書かないが、ハッピーエンドに終わったことだけを書いておこう。
たぶんコッポラ監督の観客サービス?
もうちょっとひねったエンディングのほうが私としては面白かったんだけれど。
私ぐらいのトシになると、ちょっと物足りないかな。
なぜなら高校時代、皆をうらやましがらせたカップルが離婚してしまった例は珍しくない。
あの当時はあれで良かったと思っていたけれど、ひょっとしてやり直せるのなら、今の相手ではなく、別の相手のほうがうまくいくのではないか、そしたらまた別の人生を歩んでみたいと思っているシニア女性は少なくないように思うからだ。
ゆえに結論としては、非アメリカ人で、シニアの私にはいまいち感情移入できなかった残念な映画だった、ということになるのか。