夢でささやくピアノ

ジャズピアノとクラシックピアノの両立を目指す、ねむいゆめこの迷走記録

母校の校歌の作曲者を知っていますか?

53年前の入試問題を覚えているかつての同級生

昨年50年ぶりに高校の同級生と同窓会で再会した。

そのときの記事が下のもの。

kuromitsu-kinakochan.hatenablog.com

それ以来、同級生のメンバーによるクループラインに参加しているが、このラインにはときおり非常に面白い情報が寄せられる。

きょう投稿してくれたのはある男子生徒なのだが、

「53年前のきょう、〇〇高校を受験しました。あの時の入試の英語の問題ですが・・・(中略)全然解けなくて試験後、一緒に受験した友人に教えてもらってとても悔しかった思い出があります」というもの。

ご丁寧にその投稿には、当時の高校が発行した「合格証」が添付されていた!

それに反応した同級生たちは、

「全然、覚えていません」

「あー、あの問題やね、僕も間違えました」

「合格証はたぶんあると思うし、校長先生の名前も覚えているが、試験問題は記憶にございません」

とかさまざまなのであるが、

私のように、試験問題➡まったく覚えていない

合格証➡もらったことさえ覚えていない

校長先生の名前➡まったく覚えていない

という不届きな生徒はめずらしいであろう。

なにせ卒業証書も卒業アルバムも、断捨離というか、両親の遺品とともにバイバイしてしまったのだから。

いったい私は自分が卒業した高校の何を知っていて、何を覚えているのだろう?

母校校歌の作詞作曲家を調べてみた

あーそうやそうや、と昼頃に思い出した。

私はこの高校の校歌メロディーは覚えていた。

結構気に入っていたのだ。

しかし歌詞は一部しか覚えていない。

それもラストの「母校よ○○、○○高校~」と高らかに歌い上げるところだけ(○○には高校の名称がはいる)。

それでこの校歌の作詞作曲は誰なんだろう?とネットで検索してみた。

ここであらためてネットの威力に感謝する。

ウチの高校みたいな、兵庫県のなんということもない県立高校のことも載っているのだから。

すると作詞は冨田砕花(とみたさいか)とある。

あーこのひと知ってる、知ってる、名前だけだけど。

たしか晩年は兵庫県芦屋市で暮らしたせいで、当時の家が文化施設になっているはず(でも行ったことはない)。

作曲は信時潔(のぶとききよし)。

へぇー聞いたことないなぁ、だいいち読み方もわからへんし・・・

しかしウィキペディアを読んでびっくりした。

この方はあの「海ゆかば」、大東亜戦争時代は準国歌ともいわれたあの曲、学徒出陣の映像で必ずバックに流れるあの歌の作曲者だったのだ!

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海ゆかば」の作曲者、信時潔

信時潔(のぶとききよし 1887-1965)は大正・昭和時代の著名な音楽家・作曲家であった。

東京音楽学校で学んだあと、ドイツへ留学し、帰国後は母校の教授として着任している。

いわば当時の楽壇エリートであり、山田耕筰と肩を並べる作曲家だったように思われる。

しかし戦後は「海ゆかば」が軍国主義に利用されたのを恥じたのか、歌曲・合唱曲なのど作品数が減り、その代わりなのか校歌・社歌の作曲に力を注いだ結果、なんと1000以上ものの校歌・社歌を作曲したと言われている。

調べてみると兵庫県の県立高校だけで5つの校歌を作曲しているから、なにもうちの高校は特別な存在であったわけではない。

しかし特別残念に思うことは、高校在学中、校歌が信時潔の作品であることなんて、まったく聞いたことがなかった。

当時の音楽の先生からも、である。

どうしてだろう?

やはり「海ゆかば」から軍国主義者のレッテルを貼られてしまったのだろうか?

しかしこの曲を弦楽四重奏で聴いて見て「いい曲だなぁ。戦時中にあんな使われ方をされなかったら、今でもいろいろな場面で演奏される名曲になっただろうに」と思わざるをえない。

ほんとうに残念だ。

弦楽四重奏で聞く「海ゆかば

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