昭和歌謡は女性蔑視表現でいっぱい?
きょうのジャズピアノのレッスン。
師に会うのはライブ以来なので、「先日はすてきな演奏を聴かせていただきありがとうございました! 楽しかったです!」とレッスン前に言った。
すると師は嬉しそうな顔をしながら「それはよかった」と言いながらも、「なんかバラバラの曲やったなぁ」となかば嘆息するように言うのである。
聞いて見るとどうやら、松任谷由実の「ベルベットイースター」と昭和歌謡の「人形の家」はあまりやりたくなかったみたいだったのだ(ということはボーカリストの好み?)
さすがは王道まっしぐらのジャズピアニスト50年。
あんな通俗的な曲をなんでやらなあかんねん、というところか。
特に「人形の家」。
「愛されて、捨てられて・・・」というのが特に気に食わないらしい。
「女性蔑視や! 男尊女卑や!
昭和歌謡なんかそんなんばっかりや!」
おやおや、私が言うのなら女性として筋が通っているが、60代の男性の口からこんな進歩的な意見が聞かれるとは思わなかった。
いしだあゆみの「あなたならどうする」
そう言えば、先日亡くなったいしだあゆみのヒット曲に「あなたならどうする」という曲がある。
その出だしは
嫌われてしまったの 愛する人に
捨てられてしまったの 紙クズみたいに
私のどこがいけないの それともあの人が変わったの
なんかすごくない?
こんなのが日本全国中に鳴り響いて、子どもでも平気で歌っていたのだ。
この歌が世に出たのは1970年だから、私は中学生だったはず。
歌詞の前半は今ではもう忘れてしまっていたのだが、後半の歌詞がインパクトが強く今でも覚えていた。
あなたならどうする あなたならどうする
泣くの歩くの 死んじゃうの
あなたなら あなたなら
どうして覚えているかと言うと、この語呂のよさ!
「泣くの歩くの 死んじゃうの」なんて3択か?!
こんな歌詞を書くのはあの人しかいないと思って調べてみたら、やっぱりそうだった。
作詞家のなかにし礼である。
つまりは「人形の家」の作詞家で、偶然ではあろうが、いしだあゆみの妹さんの配偶者である。
昭和の作詞家、なかにし礼
なかにし礼は昭和のあの時代、一世を風靡した作詞家だった。
しかし今の時代ならどうだろう?というような歌詞もあった。
これは私だけの感覚なのかと思いきや、この記事を書く前に彼の息子さんのインタビュー記事を読んで、ああ私だけではなかった、と安堵した。
今の時代なら社会的に許されない歌詞も多いですね。僕が幼稚園の頃、意味もわからず「時には娼婦のように」を歌ったら、先生が困ったような顔をしていました(笑)
というのがあったからである。
中西康夫「父・なかにし礼は最期まで危険な香りのする人でした」 【追悼】なかにし礼さん|芸能|婦人公論.jp
とにかく、なかにし礼だけが一方的にどうかな?というのではなく、あの時代、あれが普通だったというのが考えると気持ち悪い。
今みたいに各個人がみるもの、聞くものが別々というのではなく、家族全員が食卓を囲み、同じテレビ番組をみている状況で、こういう歌がかかっていた、と想像するだけで恥ずかしくなる。
令和時代には流行らない歌詞
ところで師によると、昭和歌謡ワーストは山口百恵の「ひと夏の経験」。
「ああ、例の『あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ』ですね!」
当時からそのきわどさがメディアを賑わせていた歌である。
でも当時私はこれを何だと思っていたのか?
私の大切なもの=ぬいぐるみのモンちゃん?だったかもしれない。
しかし同じくヒット曲の「青い果実」はひどい、やっぱり許せない。
まるでDVやストーカーを承認しているようなものではないか!
「あなたが望むのなら 私何をされてもいいわ」
令和の時代ではこんな歌は流行らないであろう。
それだけでも、世の中はいい方向に向かっていると私は思うのだ。