歩けないから救急車を呼ぶことにした
庭の石段ですべって転んで足首を痛めた日の翌朝5時過ぎ、トイレに行こうと起き上がったが、痛みのためまったく歩けなくなっていることに気づいた。
覚悟を決めてビジネスアワーの9時頃を待って、救急車を呼ぶことにした。
この救急車を呼ぶ手はずについては、ふだんなにごとも要領が悪い私にしては、珍しく得意分野といってよい。
自分自身が原因不明の腹痛で運ばれたこと1回、介護をしていた父が緊急事態となり、そのため救急車に同乗3回という経験を持っているからだ。
救急車を呼ぶためにやるべきこと
- ダイヤルするのは119。
- 「消防ですか、救急ですか?」と聞かれるので、この場合、「救急です」と答える。
- 住所、姓名を告げ、ついで誰が(この場合電話している本人)、どんな症状かを説明する。
もはやコロナ禍ではないはずなので、救急車はすぐに来てくれると思ったが、夫はこれまで救急車に縁がないためと、フランスの救急隊SAMU(サミュ)の不祥事の記憶からか、「呼んでもすぐにこないんでしょ?」「電話してから来るまでなん時間かかるの?」などと、私に聞いていた。
(注:2017年フランスで「死にそうだ」と言ってSAMUに電話した若い女性に対して、「みんないつかは死ぬんだから」と言って適切に対処しなかった職員がいた。可哀そうな女性は電話の5時間後に死んでしまった)
「ちゃうちゃう、日本ではコロナのとき以外、救急車はすぐに来るものと決まってるねん!」
と言ったものの、私の経験はコロナ以前のことである。
夫の予測が正しいのかと思ったりもしたが、数分で「ピーポ ピーポ」という音が聞こえたときには、ほっとしたやら、ご近所に対して恥ずかしいやら、であった。
救急車に持っていくもの
- 健康保険証
- お金(現金、あればクレジットカードなど)
- お薬手帳
- 靴(運ばれるときに履いていないが、帰るときに必要になる)
あっというまにやってきてくれた救急隊のお兄さんたちは2,3人いたように思うが今となってはなぜかよく覚えていない。
ただ、「こけはったんですか?痛いんですか?大丈夫ですか?」と、みなさん優しくて感激モノだった。
彼らの到着時、私はベッドに腰かけていたのだが、隊員のひとりがおんぶで室内~玄関ドア~救急車まで運んでくれた。
このときはまだ庭の石段が濡れていたので、私はおんぶしてくれているお兄さんも転ぶのではないかと、ひやひやものだったが。
月光仮面のおじさんかもしれない
救急車内で体温や血圧もはかっているうちに、10分ほどで救急病院に到着。
到着後は病院の担当者といつのまにかバトンタッチされ、あっというまに救急隊のお兄さんたちはいなくなってしまい、お礼をいうヒマもなかった。
そして私は思うのである。
父のときもこうだったな、と。
倒れて起き上がれない父を抱き起し、ストレッチャーに載せ、受け入れ先を求めて夜間街を走り回ってくれた救急隊員のみなさんには、仕事とは言え、今も本当に感謝している。
なのに3回とも満足なお礼ができなかった。
みなさん疾風(はやて)のようにあらわれて、疾風(はやて)のように去って行ってしまったのである。
あれ、これ、どこかで聞いたフレーズ?と思ったが、昭和の人気テレビ番組「月光仮面」のテーマソング「月光仮面は誰でしょう」であった。
当時、私は2歳ぐらいだったので、番組のことはさっぱり覚えていない。
しかし母がことあるごとに、「ゆめちゃんはどこでも、『月光仮面のおじさんは~~』と大声を張り上げて歌うから、もう恥ずかしいて、恥ずかしいて」と言っていたのでまるで原体験のように感じるのである。
そうや、救急隊のおじさん(お兄さん)は、私にとって月光仮面なのかもしれない。