映画化された南博氏のエッセイ「白鍵と黒鍵の間に」
ジャズピアニスト、南博氏のエッセイ「白鍵と黒鍵の間に」は今年映画化され、人気俳優の池松壮亮さんが主演をつとめているから、知名度は結構高いのかもしれない。
しかし私はこの本を読むまで南氏も池松さんも知らなかった。
南氏のピアノもそれまで聞いたことがなかったので、読了後、YouTube内を探して聴いて見たが、「ああ、やっぱり~」と思った。
南氏はキース・ジャレットに憧れてジャズピアニストの道を歩んだのである。
ところで私はキース・ジャレットが苦手だが、キース・ジャレット嫌いで知られる村上春樹氏ほどではない。
単に私の耳が肥えていないので、彼の良さがわからないだけだ、と思っている。
なぜ私はこの本を手に取ったか?
南氏がアメリカ留学前、音楽高校時代にジャズに目覚め、銀座のクラブなどをピアニストとして渡り歩いたのが1988年頃とある。
時代はそれより数年さかのぼるが、私は大学時代にジャズに目覚め、神戸三宮のクラブや大阪梅田のホテルなどでピアノを弾いていた。
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南氏と大きく違う点は、彼は音楽高校でクラシックピアノをすでに極めていたのに対し、私は中学3年頃にやめてしまっていたので、テクニックでは比べ物にならないだろう。
それに銀座と三宮では、格というか、華やかさでは比べ物にならないでしょ。
おまけに私はお酒がまったく飲めないし、お客さんとの交流はできるだけ避けていたので、組織のボスなんかには会ったことはない(神戸はその本拠地で有名だが)。
でもいくつかのエピソードは「あるある」だったし、笑えるところもあった。
作家さんではないので、エッセーとしてのまとまりのなさは否めないにしても。
ジャズではまず即興演奏ありきなのだ
南氏は初めてキース・ジャレットのレコードを聴いて感銘し、
「この人の演奏している曲の楽譜はどこにいったら手に入るのかなあ」
と友人に尋ね、その友人から
「これは即興演奏なんだよ。だから楽譜はないと思うよ」
と言われショックを受ける。
このエピソード、私はまったく笑えない。
私もジャズに出会うまでは、すべての音楽と言うものは楽譜があると思っていたのだ。
ジャズがまず、即興演奏がベースになっていることを、誰かもっと宣伝してくれないものか!
なぜピアノ弾きは「センセー」と呼ばれるのか?
夜の世界ではなぜピアノ弾きは「センセー」と呼ばれるのだろうか?
私はそれまで「センセー」と呼ばれる立場のひとは文字通り、学校の先生、お医者さん、弁護士さんぐらいと思っていた。
余談だが、司法書士さんも「センセー」と呼ばれることはこの時に知った。
しかし、大学を出たばかりの22歳で、何も人様に教えられるような技能はないのに「センセー」と呼ばれるにはものすごく抵抗があった。
それも「センセー、アレ弾いてコレ弾いて」と言われ、
「ええ? はいはい」と奴隷のようにコキ使われているだけなのにね。
リクエストした本人が一番聴いていない
南氏の格言に「リクエストした本人が一番聴いていない」というのがあり、これも真実かと思う。
南氏は何回も「リカルド・ボサ」をリクエストされたそうだが、これだったらまだいいじゃないですか?
私なんか五輪真弓の「恋人よ」ばかりやらされたよ。
ちなみに「リカルド・ボサ」は当時タバコのCMに使われていたから、多くの人が知っていたのだと思う。
私も大好きで、これだったら何回弾いてもいいと思う。
プロになるひとはやっぱり違う
南氏は3年ほどで銀座のピアニストという生活に見切りをつけ(給料も相当もらっていたにもかかわらず)、アメリカに留学してジャズピアニストへの道を歩むのだった。
ここが違うんだなぁ。
当時の私にはピアノを一生の職業とする気はさらさらなかった。
才能なんて全然ないのはわかっていたし。
それでもまったくやめなくてもよかったのかもしれないが、白黒をはっきりつけるのが好きな私はピアノをすっぱりやめて、好きだったフランス語をもっと習いたいと思い、フランス行きを目指すことにしたのだった・・・