スケールや理論の勉強は必須なのか?
私のクラシックピアノの先生は、ピティナステップのアドバイザーもときおり務めておられるようである。
つまりピティナステップにおける、いわゆる審査員みたいなもので、参加者の演奏についてコメントやアドバイスを書いたりしてくださる先生方のひとりだな。
先日は関東地方まで出張されたそうだが、参加者の演奏について、
「みなさん英国王立音楽検定(ABRSM)の勉強をしておられたら、もっとよく弾けたと思いますよ」
と言っていた。
「スケールをとても弾きにくそうにしているひとがいるんですよ」
なるほど。
英国王立音楽検定ではスケールを暗譜で弾くことが必須になっているから、ふだんからそれができていたら、弾きにくそうに弾くことはないだろう、ということか。
「音楽理論をね、たぶん全然わかっていないんですよ。
なにもわからないでただ弾いているなんて、猿回しといっしょじゃないですか。」
ウーン、ちょっとキビしいかな。
どうせ私は申年生まれのお猿さんですわい。
英国王立音楽検定の知名度の低さの原因
しかしどう考えても、英国王立音楽検定というのは日本ではあまり知られていないのではないか?
「私は英国王立音楽検定のグレードを持っているのよ!」
と自慢しているひとなんか聞いたことがない。
すべての資格試験において、その存在が知られていないものほど世俗的な価値が薄いものはあるまい。
いくらそのための準備作業が価値ある行為だとしても。
その「知る人ぞ知る」というレベルにとどまっているのはなぜなんだろう?
私が思うには、日本でクラシック音楽大国と認識されているのは、あくまでまずドイツ、オーストリア、イタリア、次いでフランスぐらいで、イギリスはクラシック音楽後進国ではないだろうか?
だって私は子どものとき、ほとんどすべての音楽家(ハイドン、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームスなど)がドイツ系なのを知りショックを受けたのだ。
「ドイツ人って天才ばかり??」
と思ったものだ。
反してイギリス人音楽家の天才っている?
ショパンが呆れたイギリス人の音楽についての考え方
作家の平野啓一郎氏は、ショパンとドラクロワの友情を軸に描いた歴史小説「葬送」を執筆するにあたり、ありとあらゆる文献、書簡などを研究したそうだ。
なのでショパンがイギリス人が音楽に対して抱いている姿勢として書いた以下の文章は大いに信ぴょう性があるのではないか?
(前略)ショパンには、イギリスに来た当初は大いに驚き、今ではすっかり慣れてしまった一つの発見があった。それは、この国では芸術といえばただ絵画、彫刻、建築をのみ指し、音楽はその範疇に這入らぬということだった。音楽家は決して芸術家とは見做されず、芸術家という言葉を音楽家を指して用いることは誤用ですらあった・・・
葬送 第二部 上 ページ406
ショパンの没年は1849年だから、その後、イギリス国内でも「これでは大国として恥ずかしい」という風潮が実り、やっと1889年に王室の肝いりで「英国王立音楽検定」が生まれるに至ったのでは?というのが私の妄想である。
英国が生んだ最も偉大な音楽家はビートルズ?
それでは英国が生んだ最も偉大な音楽家とは?
「威風堂々」で知られるエルガー?
「惑星」が有名なホルスト?
あのねぇ、この際ジャンルの垣根をとっぱらって考えたら、私はビートルズだと思う。
笑える?
そりゃ私だってビートルズのヒット曲には聞き飽きたのもあり、
「レットイットビー」「オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ」
なんかはもう勘弁してほしく、スーパーのBGMでかかっていたら逃げると思う。
60代になってから以前よりしんみり聞くビートルズの曲は、
「In my Life」
「Here there and everywhere」
「Eleanor Rigby」
「The fool on the hill」
といったところかな。
ああ、でも多くのクラシックファンから反対意見がでそう・・・