90年代に大ヒットした「マディソン郡の橋」
小説の「マディソン郡の橋」が日本でも流行したのは1993-1995年頃?
よくわからないのだが、そのブームのすごさはよく覚えている。
たしか、70年代のヒット「ある愛の詩」を肩を並べるくらいすごかったのではないだろうか?
しかし当時はネットもなかったのに、どうしてブームなるものがおきたんだろうね?
誰か仕掛け人みたいなのがいたのだろうか?
大いなる謎である。
それはさておき、ブームにのせられて私も「マディソン郡の橋」は読んだ。
そしてどうしてこんな陳腐な不倫小説が大ヒットになるのかさっぱりわからん、だった。
その映画版を見る気になったのは、まずNHK BSで放映していたから。
そして主演のメリル・ストリープとクリント・イーストウッドの作品は、やはりできるかぎり見ておきたかったから。
そして読後約30年もたつと、私も充分大人になって、モノの見方が変わっているかもしれない、と思ったからである。
「マディソン郡の橋」とはどんな映画か
ご存じの方も多いと思うので、さらさらっとあらすじを書くと、これはアメリカ/アイオワ州の田舎に住むイタリア出身の主婦、フランチェスカ(メリル・ストリープ)と、たまたま撮影のためにそこに立ち寄ったカメラマン、ロバート(クリント・イーストウッド)のたった4日間の真実の恋、結ばれることのない恋の物語である。
結ばれなかった理由は、フランチェスカが夫や子どもを捨てて、ロバートのもとに走る決心がつかなかったのだ。
しかし別れてからも二人がお互いに忘れることはなかったというのは、二人の残した遺品が証明している。
泣かせるねぇ。
フランチェルカの遺言がさらに涙を誘う。
「私は家族のために命を捧げました。せめて遺灰はロバートにあげてください」
結論を急ぐ二人が理解できない
大ベストセラーに大ヒット映画でも、アンチのかたは必ずいるようだ。
アンチ「マディソン郡の橋」派にとって、この作品は不倫を美化しているので、道徳上よろしくない、というものらしい。
そういう意見はまた脇をおいておいて、私が不思議なのは、どうしてこの二人は先を急ぐのだろう、ということだった。
だって知り合ってたった4日間でしょ。
それだけで運命の人と巡り合った!というのはいささか早とちりではないか?
それに、なにもフランチェスカの家族がいない4日間がすぎたその時点で、家庭にとどまるか、ロバートと手に手をとって新しい世界に飛び立つか、を決めなくていいんじゃないのか?
ロバートはカメラマンとして世界中を駆け回っているようだが、戦地にいるわけではないから手紙ぐらい書けるだろう。
そしてフランチェスカはイタリア出身ということだから、里帰りを利用してイタリアでロバートに会うこともできたかもしれない。
時間をかけてお互いを知り合い、気持ちが変わらないのだったら、それこそホンモノだということになり、フランチェスカの夫や子どもを説得することになる。
それからでいいじゃないか。
なんてことを考えるのだが、それだったら泣かせるラブストーリーにならないのだろうね、きっと。
こきおろしながら映画はみてよかった
でも映画の映像はよかった。
アメリカの広大な土地に拡がる田舎、近所づきあいの濃さ、アイスレモンティーをお代わりしたくなる暑さを小説だけで想像するのは難しかったのだ。
そしてメリル・ストリープの、イタリアのおばちゃんっぽいでっぷりとした腰まわり。
クリント・イーストウッドの鍛えあげられた肉体のうえにのっかった人懐っこい笑顔。
やっぱり名優の演技なら、見て損はなかったのである。