「シャンドールピアノ教本」との出会い
きっかけは左手の指くぐりが苦手、ということから思いついた。
どうやっても左手親指が内側、つまり手のひらのほうまで曲がりにくいため、どうしたらいいものだろうと悩んでいたところ、「シャンドールピアノ教本」では指くぐりは奨励されていない、というのをネット記事で読んだ。
ならばその「シャンドールピアノ教本」なるものをまず、読んでみようか、ということになり、図書館でネット予約をした。
kuromitsu-kinakochan.hatenablog.com
それがやっと予約の順番がまわってきたのが、おとといの日曜日。
そして月曜日に読み始めて、大事そうなところには付箋紙をはっていたのだが、上の写真にある通り、付箋紙だらけになってしまった。
おお!これは私のピアノバイブルだ!!
バイブルだから借りるのはやめて買うことにした
バイブルというのはちょっと大げさかもしれないが、それほど私はこの本に感銘を受けたのだ。
なぜかというと、私がぼんやり今まで、「〇〇って本当はこうやないかなぁ、でも世間ではこうゆうてるし・・・」と思っていたところを、筆者であるシャンドールは、「そこはそやなくてこうや、と私は思うのです、なぜなら・・・」と明快な論理で説明されているからである。
もっとも氏が微に入り細を穿つように説明している、手首、親指、肘、腕の使い方などに関しては、まだ読み切れていない。
だから〇〇のところは「暗譜」だったり「記憶」だったり「練習方法」だったりするのだが。
もうこの本は借りるのではなく、買うしかない。
早々にこれは図書館に返却し、自分でお金を出して購入し、そして丁寧に舐めるように(?)読んでみようと思う。
練習曲不要説に合点する
一番心に残ったことは、シャンドールが練習曲について↓の引用部分のように述べていることだ。
・・・我々は機械的な練習というものに信用を置いていないのだから、音楽ではなく技術を中心に据えた勉強は出来るだけ省いたほうがいい(ハノン、ピシュナ、ルェルニーなど)。特定の技術パターンを繰り返し繰り返しやらせる練習曲は、ややもすると我々を機械的な練習に導きがちである。そんなことをするよりも、ある技術パターンをその最も純粋な形で身につけ、それが正しく出来たら、それを直ちに実際の作品の中で用いる方が、はるかに生産的である。
どうしてこの練習曲不要説が身に沁みたかと言うと・・・
今のクラシックピアノの先生に出会うまで、練習曲はいろいろやったけれど、効果のほどはあまり感じられなかった。
つまり練習曲集の何番かが弾けるようになると、次へ、というやり方で、フォームなど基礎については何も言われたことがなかった。
ところが今の先生とジャズ師から、徹底的に指のカタチ、フォーム、姿勢について矯正されると、この頃自分でいうのもなんだが、ピアノの音が良くなった気がするのだ。
その上、どこも痛くないし、肩こりもない。
だから必要なのは練習曲ではなく、基礎練習ではないだろうか、と。
惚れ惚れするシャンドールの演奏
ところでこの筆者であるジョルジ・シャンドール(1912-2005)が二流のピアニストだったなら、私は彼の書いていることなんかハナにもひっかけなかっただろう。
ところが彼は卓越したピアニストで、Wikiによると、「晩年も極端なテクニックの衰えがなく、最晩年でも円熟味のある演奏を聞かせている」とのことだから、きわめて理にかなった奏法をするかたではなかったのだろうか。
YouTubeを検索すると、若き日の演奏があった。
ムダなところがひとつもない流麗な手さばきで、カラダのどこにも余分な力ははいっていなさそうだ。
なのに力強い音も、繊細な音も自由自在。
フォームは極端に前かがみになることも、反りかえることもなく、顔芸がないことはいわずもがな、である。
好きやわぁ、こういう弾き方。
この動画のせいで、今までやってみたいと思ったことのないリスト「愛の夢」にも挑戦してみようかなぁ、という気になった。