ガロのヒット曲「学生街の喫茶店」
私が10代だったころ、ガロという3人組のフォークグループが人気を博していて、その代表的なヒット曲に「学生街の喫茶店」というのがあった。ウィキペディアで調べてみると、発売されたのは1972年とあるから、私の大学在学中には、旬のヒット曲というより、すでにスタンダード曲の仲間入りを果たしていたのかもしれない。
いずれにしろ、学生時代によく通った喫茶店とそのころの「君」との想い出を歌った歌は私のお気に入りだった。歌詞のなかに、「ボブ・ディラン」がでてきたが、それはちょっと古いなぁと思ったけれど。歌詞を一部以下にご紹介する。
君とよくこの店にきたものさ
訳もなくお茶を飲み話したよ
学生でにぎやかなこの店の片隅で聴いていたボブ・ディラン
あのときの歌は聞こえない
ひとの姿も変わったよ
時は流れた
大学生の頃、この歌を聴きながら、あるいは鼻歌で歌いながら、「わたしもあと何年かしたら、この曲を聴くたび、もっとしみじみするのかなぁ」と思っていた。そう、しみじみするのには「あと何年」で充分だったのだ。「あと何十年」では変わりすぎていて感慨どころではなくなってしまう。そう思ったのは、先日京都に一泊し、学生時代の友人たちと母校キャンパスを約40年ぶりに散策したときのことである。
今出川⇔新町間に喫茶店を探す
私が大学生の頃、まず母校の田辺キャンパスというのは存在していなかった。ちなみに京都の地下鉄もまだ存在していなかった。授業は今出川と新町の両方で行われたが、私が属する学科は主に新町キャンパスで授業があったため、一日に少なくとも2,3回は今出川⇔新町間を往復した。
この細い道幅の両脇には、確かに喫茶店が何軒かあったと思う。大学の授業にさっぱり興味がもてなかった私は「休講だから」「ばったり出会ったから」というのを理由にして、この学生街の喫茶店にはいっては友人たちとダラダラとおしゃべりをしていた。窓からは、ときおりヘルメットをかぶり、角材を手にした活動家の学生たちが隊を組んで行進しているのを見かけたが、彼らがやっていることにも共感も覚えなかった。
さて約40年後。
あらためてこの細い道を歩いてみたが、当時を思い起こさせるような「喫茶店」はさっぱり見あたらなかった。「喫茶店」というのはもう流行らないのだろうか?100歩譲って「喫茶店」という呼称が古いので、「カフェ」に言い換えたとしても。それに40年前のこの付近は、西陣織の機織りのカタカタという音がときおり聞こえてきた京都らしい風情のある通りでもあったのだが、今回はまったくそういう音は聞こえてこなかった。というよりも、またしても旧友とのおしゃべりに夢中になりすぎて、聞こえなかっただけなのかもしれない。
40年もたつと記憶と一致しない構内
約40年ぶりにキャンパスを歩いてみると、懐かしくないとは言えないのだが、なんだか構内が昔よりきれいというか、整然としすぎていて、「なんだかなぁ~」という気さえしたのは気のせいだろうか、それとも春休み中で学生をほとんど見かけず、活気がなかったせいなのだろうか?
レンガ造りの校舎は見た目はたしかにレンガ仕様ではあるものの、改築や修復を重ねたのだろうか、新しい建物のように見えた。また、以前は建物がなかったところに建物があり、どうしても記憶のなかの構図と一致しないところさえあった。
そして構内の立て看板! 私たちの時代には印刷というのがそんなに簡単ではなかったから、みなマジックによる手書きで乱雑なものだったが、今のは看板でもきれいに印字されていて、写真もある。
新島襄が以前よりも活躍していた
それにいたるところにある創立者、新島襄のことば、書。エレベーター内にも何かのことばが書かれていて、びっくりしたのだが、写真を撮るのも忘れてしまった。こういうのは私が在学中にはなかったものだ。ひょっとして2013年に放映されたNHKの大河ドラマ、「八重の桜」で新島襄がとりあげられたせいなのか?(実は私は1,2回しかみていない)。
このようにあんまり記憶と違いすぎると、私は本当にこの大学に在学していたのか自信がなくなってくる。ひょっとして女子大生だった夢を見ていたのかも? 幸いに、旧友たちが証言してくれると思うからいいようなものだけれど。