神戸のコンクール会場がすぐ満席になる理由
きょうのクラシックピアノレッスン。
レッスンを始める前の世間話の折に、私はバッハコンクールの神戸会場がすでに満席で申し込みできなかったことをお伝えした。
「申し込み開始日からほんの数日後なんですよ(泣)。そろそろ申し込みを済ませようか、とサイトにアクセスしたら近畿地方では神戸だけが満席なんですよ!」
と私は先生に訴えた。
そしたら先生は全然驚いた風もなく、
「神戸はいつもこうなんですよ。○○先生という有名な先生がおられるので、その生徒さんがみな、神戸会場にワッと集まるんです」
え!○○先生とはどんなかたか?
何でもバッハコンクールやヤマハ(コンクール)をつくったかただと言う。
つくったってどういう意味?
私は目が点になった。
福沢諭吉や新島襄のように塾、学校をつくった=設立したというならわかる。
しかしコンクールをつくる、という表現が私のようなクラシック界門外漢には、さっぱりわからない。
想像するところ、「日本でもポリフォニーを勉強する若いひとたちを育てる必要があるから、そのためにバッハコンクールを開催したらよいのではないか」というような意見のあるかたが、いわゆる発起人になり、実現のための活動をすることが、つくる、という意味なのか?
いや、これも想像の域をでない。
家へ帰ってからその先生のプロフィールをぐぐったら、さまざまなコンクールにあまたの入賞者を送り込み、また東京藝大などの名だたる音大に確実に合格者をだしていることがわかった。
ふーん。では去年神戸で受けたバッハコンクールにはこの先生の教えを受けた生徒さんがたくさんいたんだろうね。
私みたいな部外者はどれぐらいいたのだろうか?
何も知らなかった私は、ちょっと恥ずかしいかも・・・
私のピアノ演奏のよろしくないクセ
きのうの記事でご紹介したマリア・ジョアン・ピレシュの「スーパーピアノレッスン」ではないが、きょうのレッスンはぐうぜん、私の弾き方のクセについて、先生からいろいろアドバイスをいただいた。
その1
ひょっとして椅子の位置がピアノと近すぎるかもしれない。
椅子とピアノの距離が短かすぎることによって、腕の動きが制限されている可能性もある。
解決策としてはまず、椅子の位置をずーと後ろに下げて弾いてみて、徐々に椅子を前へ持っていき、ちょうどよい位置をさぐってみる。
その2
脇が固い、つまり脇が甘いの反対。
脇が甘いというのはよくきく表現で、むしろそっちかと思ったのだが。
もう少し、腕とカラダの側面との距離を拡げて、腕の動きを自由にしたほうがいいとのこと。
つまり今のところ、脇をちぢめてお行儀よくちんまりと弾いているらしい。
先生たちはみな私より手が小さい
先日の記事に書いたのだが、シューマンの「アラベスク」には10度の差が頻発するので、それをどういう風に弾けばいいのかお伺いした。
kuromitsu-kinakochan.hatenablog.com
私は左手をいっぱいに開いて、「これから10度をつかみますよ」という心の準備があれば、なんとか届くのだが、ふつうの演奏中ではムリ、という説明をした。
ところが先生は、私の手をみて、
「手、大きいじゃない! 指、長いじゃない!」
と言って、ご自分の手を私の手に重ねた。
驚いたことに先生の手は私の手より、一回りは小さかったのだ!
そういえば、前の先生も、その前の先生も、私の手より小さかった。
みなさん小柄で身長160cmはなかったかも?
いったい全体、あんな小さい手でどうしてピアノの専門家になれるのだろう?
こっちが聞きたいくらいである。
みなさん、いざというときにはトムとジェリーのトムのように、びよ~~んと指が伸びるのだろうか?
ということは、手の大きさよりも、指を支える腱の柔らかさのほうがずっとピアノを弾く上では大事なのではないだろうか?
マリア・ジョアン・ピレシュのドビュッシー「月の光」
世界的なピアニストのなかでは、マリア・ジョアン・ピレシュは手の小さいことで有名ではないかと思う。
だから私は彼女がどういう指使い、手首の回転で弾いているのかをみたくYouTube内の動画をいろいろ探したが、意外に手元を写した動画は少ない。
下の「月の光」など、私がみたいのは左手のアルペジオを、彼女がどういう弾き方であんなに美しく弾いているのかを見たいのに、カメラは彼女の顔ばかりを捉えている。
このカメラマンはピアノを弾かない人なのだろう。
いくら美しく年輪を刻んでいるからといって、彼女の皺をしつこく写して、見せられるほうはどう感じろ、というのだよ。
手を見せろ! 指を映せ!
と心の中で悪態をついたが、幻想的な「月の光」にはじゅうぶん堪能させていただきました!