「おくりびと」が教えてくれた条件法過去
「おくりびと」という邦画をみたあと、フランス語でこの映画を解説している動画が面白かったので、フランス語のムッシュー先生にも紹介した。
この動画については、11月に記事にしている。
kuromitsu-kinakochan.hatenablog.com
この動画のなかで紹介されている映画の中のせりふでは、下記が一番気に入った。
まさしく私のためにあるような語句である。
J'aurais dû me rendre compte plus tôt des limites de mon talent.
もっと早く自分の才能の限界に気づけばよかったのだ。
しかし、この語句には従属節の si 、英語でいう if が省略されている。
あえて加えるとすると、「もし可能であったならば」ぐらいか。
このフランス語文法の仮定法、という項目について、記憶がうろ覚えになっていることに気がついた。
言葉もピアノも、使わないとどんどん錆びついてしまうことを実感したわけである。
そこで今年最後のフランス語レッスンがあったきょう、私はフランス語仮定法現在、仮定法過去の千本ノックを先生から受けることになった。
日本語で言い換えれば、「たら」と「れば」の連続である。
願望を表す条件法現在
最初はいちばん簡単なところから。
すなわち、現実にはないことを願望するときに使う条件法現在。
- Si j'avais une plus grande maison, j'achèterais un piano à queue.
(もし家がもっと大きければ、グランドピアノを買うのに)
これは本心であるが、日ごろからそう念じているわけではない。
自称ミニマリストの私はモノが多いのが性に合わないので、これ以上モノが増えるのは避けたい。ただ、グランドピアノはあったらいいだろうなぁ~とは思う。
- Si je n'avais pas à me soucier de l'argent dans mes vieux jours, j'embaucherais un jardinier particulier.
(もし老後のお金の心配がなかったら、専属の庭師を雇うのに)
これも本心。庭の手入れぐらい自分でやれば、と言われるかもしれないが、ガーデニングとピアノは両立できない、というのが私の信条。
- Si je pouvais tout recommencer au lycée, je n'arrêterais pas de prendre des cours de piano.
(もし高校生から人生をやり直せるなら、ピアノのレッスンはやめないだろう)
ピアノのレッスンを中3か高1でやめたことを、私は本当に後悔している。
受験勉強に励んでいたからではなく、体育系の部活をやっていたのでピアノどころではなくなったのだが、当時はいったい何を思って、毎日放課後に跳んだり走ったりしていたのだろう?
過去を悔いる(?)条件法過去
次はさらに複雑な条件法過去。
過去にできなかったことを悔いることに使うことが多い(私にとっては)
- Si mes notes en mathématiques avaiet été meilleures, je me serais inscrite dans une université nationale.
(もし数学の成績がよかったなら、国立大学に入学したのに)
今はどうか知らないが、私の時代には国立大学の入試には数学が必須だった。
あのときもし、おカネのシミュレーションをして、国立が私立に比べてどれほど安いかを認識していれば、泣き泣きでも苦手の数学を勉強したかもしれない。
- Si j'avais pu vivre plus longtemps à Paris, j'aurais visité les maisons de Chopin et de Debussy.
(もしパリにもっと長く住んでいれば、ショパンとドビュッシーの家を訪ねたのに)
パリにいた間は、INALCO( 国立東洋言語文化大学)の授業についていくのが精いっぱいで、自分の屋根裏部屋と大学の往復しかしていなかった。
その後、苦労して得たディプロムがまったく人生で役に立たなかったことを思えば、もっと観光をしていればよかった、と思うときもある。
さて、50分も「たら」と「れば」をやっていたらだんだん人生には後悔しかないような気がしてきた。
やはり条件法は文法事項を知っておく、ぐらいにとどめたほうがいいと思う。
これを深くやりすぎると、前向きな気持ちにはなれない。
過ぎたことはとっとと忘れて、未来志向で行こう!!