見違えるほどになったと言われて素直に喜べない
発表会までのレッスン日があと2回となった今週。
前回はナザレーの「オデオン」に時間がとられすぎたので、ドビュッシーの「夢想」はまったく弾く時間がなかった。
それで今週は「夢想だけをやりましょう!」と先生が言ってそのとおりのレッスンとなった。
それで最初、通しで弾いたら・・・
「見違えるほどよくなりましたね!」
とお褒めをいただいたので、
「ホントですか? 嬉しいです!」
と言っておいた。
その実、さほど嬉しくなかったのである。
だってこの曲は4年ほど前から自主練で弾いている。
だから最初に見ていただいた時もほとんどノーミスで弾いたはずだ。
ということはそんなに出来が悪いとは思っていなかったのだ、弾いた本人は。
見違えるほど、とは何ぞや?
そんなにひどかったのか・・・
強弱記号は相対的なものかもしれない
案の定、その後ことこまかにアドバイスをいただいた。
そもそも、強弱記号で示された強弱、つまりフォルテとかピアノは絶対的なものだと思っていなかったか、私は?
つまりフォルテなら10段階の8ぐらい、ピアノなら3ぐらいとか。
だからモーツァルトのK331におけるメゾフォルテも、ドビュッシーのアラベスク1番のメゾフォルテも、同じメゾフォルテなら同じ大きさだと思っていた可能性大だ。
それらは絶対的ではなく、ひょっとして相対的なもの?(と先生は言わなかったが)。
ドビュッシーの「夢想」での強弱記号は、ほとんどがメゾピアノ、ピアノ、ピウピアノ、ピアニシモであるため、ピアノだと結構音が大きい部類にはいるらしい。
「ここのピアノはもっと音を出してください!」
と言われ、それまでこわごわ弾いていたところを全部やり直さなくてはならなくなった。
でも前回はそんなこと言われなかったよね?
先生の言うことも毎回変わっている?
まぁ、文句はいうまい。
これだけ丁寧に教えていただいているのだから。
練習よりもスマホスタンドと格闘する
いつもは曲の合格、または強制終了したときのタイミングで動画を撮っていた。
しかし撮ったら撮りっぱなしなのだから、それだと意味がないのでは?
その動画を参考にして改善しないと。
というわけで曲の終了前であるきょう、スタジオまでいってきた。
ところが、スタジオに置いてあるスマホスタンド3台がどれも高さ調整が思ったようにできず四苦八苦した。
どれを押したり引いたりしてもそれ以上長く伸びないのだ。
困ったなぁ・・・
試行錯誤しているうちにどんどん時間が過ぎていく。
これでは練習をしにいったのか、スマホスタンドと格闘しにいったのか、わけがわからない。
どうにか妥協して撮った動画では私の腕がやけにクローズアップされているようだ。
それも丸太のような腕が。
イヤやなあ。
他の人はどうしてみんな測ったような定位置で動画が撮れるのだろう?
私のは毎回違う。
いかにも素人くさくっていやだなぁと思うのだが、よく考えてみたら素人だからあたりまえかもしれない。
【演奏動画】ドビュッシーの「夢想」
結局、1時間のレンタル時間のうち、「夢想」は3回、「オデオン」は2回弾けたので、いちばんマシなやつを選んで、きょうはまず「夢想」からYouTubeにアップした。
出来はともかく、この曲は人様が弾いているのを聴くより、自分が弾くほうが好きなのだ。
なぜだかわからないが、これを弾いているといつも、深ーい海の底に棲息する深海魚になった気がするのだ。
きっとリラクゼーション効果があるのだろう。
反面、聞いている人は退屈かもしれないなぁ。
ネットだとプチっと切ることができるが、発表会ではそうはいかないため、私の演奏を聞かされる人々が気の毒になってしまうが。