映画「パーフェクトデイズ」に影響される
先日、映画「Perfect Days」(パーフェクトデイズ)について、感想記事みたいなものを書いたが、あんまりいいことは書かなかった気がする。
kuromitsu-kinakochan.hatenablog.com
どうしてだろう?
読書三昧で「小確幸」(小さいけれども確かな幸せ」を満喫している主人公、平山は私のほぼほぼ理想とする生き方なのに?
そう言えばこの頃、本を読んでいないなぁ。
それもこれも老眼のせいである。
老眼は今に始まったわけではないが、最近とみに進行したような気がする。
これじゃぁいかん、と思い、平山の真似をして、寝っ転がって何回途中で挫折したかわからない夏目漱石の「道草」の文庫本をまた最初から読み始めた。
あ、そういえば平山が読んでいたのは幸田文の「木」とパトリシア・ハイスミスの「11の物語」だったね。
おもしろいのかなぁ。
こんど書評を読んでみようっと。
いや、恥ずかしいぐらいすぐ影響される性格なのだ。
古い文庫本の字は小さすぎる
文庫本はだいたい活字が小さいが、古くに出版されたものはよけいに小さい気がする。
とてもPC用に使っているメガネでは間に合わない。
ハヅキルーペでようやく読めるぐらいだ。
しかしさすがに明治の文学は漢字が多いなぁ。
「妾」は「めかけ」と読むのが普通だろうが、「わたし」とルビが振ってある。
「わたし」は「めかけ」なのだろうか?とツッコミをいれつつ、とろとろと読みにくい文字を読んでいると、フランス語を読んでいる速度とあまりかわらない。
だんだんこんなに目を疲れさせてまで読む価値があるのか、と思い始めたところ、ふと、
「あれ、『道草』だったらキンドルで無料で読めるよね?」
そうだ! 私は自分のパソコンにキンドルをインストールしていたのをすっかり忘れていたのだった!
私のKindle for PC
アマゾンで「道草」をクリックし、無料であることを確かめてから、自分のPCキンドルを久しぶりに開いてみた。
本棚にある本なら毎日目にするから、どれを読んだか読んでいないかが一目瞭然だが、電子だとクリックすることさえ忘れてしまう。
これは私の脳がいまだアナログであるいい証拠だろう。
キンドルの「本棚」には読んだ本、途中で挫折した本、読んだことさえ忘れてしまった本が並んでいた。
そこで自分の眼にとって読みやすい大きさに調整してみた。
でっか!!
そう言えば退職する間際のころ、若い人たちに
「ねむいさんの使ったパソコンは字が大きすぎて、調整するのに苦労する」
と苦情を言われたことを思い出した。
「ふん、あんたたちだって今にこうなるんだから!」
とお腹のなか毒づいたものだったが。
度を越さない程度に活用したいKindle For PC
紙の本だと線を弾きたいところにも、Kindle For PC にはハイライトをいれられる。
私はまだ使っていないが、メモも残せるようである。
そうこうしていると、読みにくかった「道草」もさくさく読めた。
そしてなんと半分は残っていたページを1日で読んでしまったのである。
今まで読みにくくては何日もかかり、あげくのはてに眼が疲れて放り出していたのはなんだったのだろう?
ただKindle For PCだと、寝転がって読むわけにいかない。
やはりちゃんと椅子に座って読む必要がある。
それにさくさく読めるからと調子に乗って寝る前なんかに読んでいると、睡眠に影響しないだろうか?
心配な点はあるものの、まったく読まない生活よりも度を越さない程度に活用するのがいいのかもしれない。
あ、それから私は「読む」のにスマホは全く使わない。
あんなちっこい字が読める若き日はとっくにすぎたと諦めている。