ミステリーにあまり興味が持てなくなった
今から20年ぐらい前、つまりコンピューターの2000年問題が取りざたされ、20世紀が終わり21世紀に突入したところ、私のピアノ熱は最低レベルだった。
レッスンは、ジャズもクラシックもとっていなかったので、週末に30分ぐらい、そのときどきに思いついたものを弾くくらい。
ではピアノを弾く代わりに何に熱中していたかというと、ミステリー小説である。
いやぁ~ あの頃は読んだ、読んだ。
作家は誰がお気に入りだったかと言うと、宮部みゆき、東野圭吾、高村薫、海外ではアガサ・クリスティはもちろんパトリシア・コーンウェル、スティーブン・キング・・・
ところがここ5-6年ぐらい前からミステリーにあまり興味が持てなくなった。
どうしてなんだろう?
グロテスクで残酷なものには耐えられない
理由のそのひとつには、最近のミステリーにはグロテスクで残酷なもの、性的表現が露骨なものが多すぎるように思う。
例えばピエール・ルメートルの「その女アレックス」。
私は彼の歴史物は大好きだが、「その女アレックス」の残酷性には辟易した。
でもこのミステリーは、ルメートルを一躍一流人気作家に押し上げた大ヒット作で、アマゾンの読者レビューも非常に高得点である。
でも気が弱くて怖がりの私にはみごとに不向きな本であった。
もっと心理的にサイコなのがいいなぁと思って、凝りもせずに選んだのがまた、ルメートルの「死のドレスを花婿に」。
だってアマゾンの読者レビューでは4点を超えているし、残酷ではない、って書いてあったし。
忘れたり、失くしたりするのはサイコ野郎の仕業
この小説は若く美しい女主人公、ソフィーがサイコな奴の標的になり、心理的に追い詰められるところから始まる。
メモ帳がいつまのまにかなくなっていた・・・
夫の誕生日プレゼントを買って隠しておいたのがない。
仕事の大事なファイルがPC上から消えている・・・
こんなに物忘れが激しくなるなんて、若年性認知症にかかってしまったか?
うん、この恐怖はわかる。
私なんかしょっちゅうモノは忘れるし、掃除機を放り出したまま、ピアノを弾いていて夫ちゃんに「片付けが終わっていないよ! もう認知症になったの!」と叱られるし・・
でも女主人公のソフィーはバリバリのキャリアウーマンだから、その疑いはないのだ。
それにこれがサイコ野郎の仕業だということは、イングリッド・バーグマンの主演映画「ガス灯」を観た人なら大体見当はつく。
確かに、有能な脚本家としてキャリアをスタートさせた、ルメートルの語りにはさすがに練れたものがあって、読者をあっといわせるとことはにあった!
私も「してやられた!」と唸った箇所があったのは認める。
しかし数々の疑問が残る。
ソフィーはハンドバックを盗られた時点で、なぜすぐにアパルトマンのドアノブを取り換えなかったのか?
前半は忘れ物をする度にめそめそ泣いていたソフィーなのに、なんで終盤から急に、用意周到で注意深い女性に変身するのか?
サイコ野郎が目的を遂げるための動機として、この動機ではちょっと弱すぎるのでないか(同じ疑問を抱いたレビュアーもいらっしゃるようだ)。
こういうことはすべて作者に騙されたフリをして、素直にハラハラドキドキを楽しめばよいのだろうか?
ミステリーを読みすぎると先が読める
つまり、「継続は力なり」がミステリー読書では発揮されて、数多く読んだ結果、驚きが薄れ、筋書きや犯人がだいたいわかるようになったためだ。
これがミステリーが楽しめなくなった最大の理由ではないだろうか。
そしてちょっと悲しくなるのが、これだけ読んでおいて、細かい筋やタイトルはまったく覚えていない。
どうやらミステリーとはお別れのときがきたようだ。
やっぱりピアノを弾くのが一番の娯楽なのだ、今は。