コスモポリタン製菓の白髪マダム
昨日、「ミュンヘン神戸大使館」でドアマンをされていたおじいさんの話を書いた。
そこでもう一つ、神戸で忘れられないおばあさん、つまり老マダムのことを思い出し、きょうはパソコンでいろいろと調べものに熱中した。
結局、たいした成果は得られなかったけれど。
そのおばあさんとは、かつて存在したコスモポリタン製菓三宮本店でいつもレジに立っていた西洋人の白髪マダムである。
そのマダムの髪はみごとな白髪だった。
グレーっぽい毛髪はまったく、豊かな白髪を夜会巻に結い上げ、いつも背筋をしゃんと伸ばしてレジに立っていた。
結構、大柄なかただったように記憶している。
コスモポリタン製菓の創業者はモロゾフ氏といい、亡命ロシア人であることは当時から知っていた。
だから心の中では、そのマダムは創業者一族のかたではないか、と思っていた。
しかし確証はない。
その頃すでに大人になっていた私は、できれば彼女に聞いて見たかったのだ。
「すみません、ちょっとお伺いしたいのですけれど、ロシアからいらっしゃったのですか?」
そんなん、よう聞かんわ!
関西人は関東の人に比べて比較的容易に見知らぬ人に声を掛けるが、私はまったくこれにあてはまらない。
コスモポリタン製菓が2006年に廃業してしまった今、白髪マダムに声を掛けられなかったのを深く悔いている。
後悔すべきは手元にない包装紙や容器
コスモポリタン製菓の創業者、モロゾフ氏が戦前、共同出資者と法的紛争になり、自分の名前を使った営業ができなくなった話は神戸では有名だ。
それで二代目、ヴァレンティン・ヒョードルヴィチ・モロゾフ氏がモロゾフという会社と袂を分かち、戦後、コスモポリタン製菓を立ち上げたと聞いている。
もちろん子どもだった私はそんなことは知らない。
神戸にはモロゾフ(創業者のモロゾフ氏はいない)、コスモポリタン、ゴンチャロフと名が知れられたチョコレート会社があり、ウチの家は特に区別することなくこの3つから買っていた。
しかし私がコスモポリタンを特に気に入っていたのは、包装紙のデザインが可愛らしかったからである。
しかし今、ネットのすみずみまで探してもその写真は見つからない。
あと、キャンデーの容器としてウィスキーの樽みたいなのがあったのだが、それを現在では鉛筆立てとして使っておられるブロガーさんの記事を読んだ。
やっぱりなんでもかんでも断捨離するものじゃないね。
もし今でもかつての包装紙とか容器とかを手元に残していたら、おりにふれ、チョコレートやキャンディ、上品な白髪マダム、お店の奥にあったイートインスペースで買い物のあと母と休憩したことを思い出すことができたのに・・・
モロゾフ一家の歴史が知りたくて
ロシア革命から逃れて神戸へ、第二次世界大戦、共同出資者との対立、神戸大空襲、とコスモポリタン製菓の創業者、モロゾフ一家は辛酸をなめてこられたようだが、彼らの歴史が川又一英氏というロシア文学者によって書かれている。
この本ではキンドルで安価で手に入るようだが、写真があるのだったら、紙の本を買おうかなぁと今、非常に迷っている。
その後、モロゾフ一家はどうしているのだろう?
廃業した今はもう神戸にはいないのだろうか?
日本でバレンタインデーにチョコレートを贈る習慣を始めた仕掛け人なのに、その後の人生が知られていないとは、なんとも不思議な話だ。