エリーゼのためにアンサンブル音楽会は欠席
先日、私はエリーゼ音楽祭神戸予選という大人のピアノコンクールに、ポピュラー・ジャズ部門で参加したのだが、実はこのために大事な予定を棒に振らなければならなかった。
それはジャズ師が開いている3か月に1度のアンサンブル練習会である。
「すみませーん。私、6月は行けないんです」
と言ったとき、師は
「そうか、残念やな。」
と言ったきり、欠席の理由は聞かなかった。
それで私も大人のピアノコンクールについて言いそびれてしまったのだ。
私がエントリーしたのはクラシックではない
さてきょうはジャズピアノのレッスン。
師が
「元気やった?」
と聞くので、
「はい。実はこのあいだ、エリーゼ音楽祭というのに参加しまして・・・
おかげさまで、予選を通過しましたので全国大会を目指します。」
と言った。
師はこぼれるほどの笑顔で
「おお! それはよかった! それで何弾くのん?」
私はきょうのレッスンの課題曲で、しかも私から提案した「Ricado Bossa Nova」のコード譜を指し示し、
「これを弾きたいんですけど、ソロで弾くのはむずかしいでしょうか?」
とたんに師は「??」という顔になり、
「そのなんとかいうのは、クラシックのコンクールとちゃうの?」
ファジル・サイの「ジャズ風トルコ行進曲」
師がエリーゼ音楽祭については何の予備知識もないことは明らかで、私は最初から説明しなければならなかった。
- 15歳以上の大人のみが参加できること。
- クラシックとポピュラー・ジャズ部門があること(プラチナとかエリーゼとかの部門は省略)
- どの部門も基本ソロ、一人でピアノを弾くこと
などである。
このうち、師はソロでジャズを弾くという前提にちょっとビックリしたみたいだった。
私は師が生業にしているジャズと、エリーゼのジャズはちょっと違うことを説明する必要があると感じ、
「今はほんとうにいろんなアレンジ譜が市販されているみたいですね。」
師は「うんうん」とうなづく。
そう言えば私がジャズを始めた頃は、ぷりんと楽譜はおろか、スタンダード曲集でもアレンジ譜の数は少なかった。
「たとえばですね、清塚信也さんアレンジの「春よ、こい」とか」
私は鍵盤いっぱいにアルペジオを弾きまくるマネだけをした。
「そして大人気なのが、トルコのピアニスト、ファジル・サイの『ジャズ風トルコ行進曲』!私は予選で2回も聞きました。」
これも疾風怒涛のごとく、猛スピードで弾きまくるマネだけ。
たしかにテンポが速く、みんなが知っている曲だったら大衆受けがするのかもしれない。
もちろんジャズとは即興演奏だけれど
だから一般にはジャズ・ポピュラーというと、こういった市販楽譜を忠実に、あるいは自分の解釈も交えて弾くことではないだろうか?
いわばクラシック的な音楽に対するアプローチの仕方である。
そしてガチのジャズファンなら全否定するやり方だとも思う。
ところでこれを書いている私はどう思うかというと、ジャズファンの「即興でなければジャズでない」という上から目線がジャズの衰退化につながっていると思うので、脳内で
「即興はええよ。面白いよ。ややこしい譜読みはいらんし」
とつぶやくだけなのだ。