スカルラッティのK466がきっかけだった
偶然スカルラッティのソナタK466を耳にし、「よし今度はこの曲をやるぞ~」という記事を書いてからもう2か月もたっていた。
kuromitsu-kinakochan.hatenablog.com
この2か月、バッハのパルティータやシューマンのアラベスクにかまけていたせいで、なかなかクラシックの新しい曲にまで手が廻らなかった。
しかしやっとコンクールもピティナステップも終わったので、「そろそろやってみようか」という段になって、問題になってくるのが楽譜である。
だいたい私は自分を信用していない。
「この曲いいね!」と思ってもぱたっと飽きることがあるので、2000円以上する楽譜をすぐ買う気にはなれない。
そこまでその曲に対する「愛」がホンモノかどうかは、もうちょっと時間がたたないとわからないのだ。
図書館で借りたスカルラッティの楽譜
こういうとき、つい手がでるのが無料楽譜なのだが、過去に誤植を見つけたこともあってあまり信用していない。
じゃぁ図書館は?
前に住んでいた首都圏の都市の図書館では、ナントカ全集みたいなのが埃をかぶって棚に鎮座していた。
でも全音のハノンも置いてあったよね?
音楽之友社のハノンのアルペジオの記譜法が気に入らないので、ここで全音のハノンを借りてコピーして使っていたこともある。
でもいま住んでいる市の図書館では楽譜はないだろうな。
なにせCDもDVDも貸出できず、品ぞろえも貧弱だし・・・といつも文句たらたらなのだが、検索で「スカルラッティ」を入れてみるとあった!
「世界大音楽全集 器楽編32 スカルラッティピアノ曲集 (新編 世界大音楽全集)」というのが! 音楽之友社出版だって!
ネットで予約完了してから数日後、図書館から「ご予約の本の用意ができました」とのメールがきた。
早ッ!
東野圭吾なんかだったら、こちらも予約したことを忘れてしまうほど時間がかかるのに。
いそいそと図書館へ取りに行ったら、本が奇麗なことにも驚いた。
やっぱり誰も借りないのだ。
そもそもスカルラッティを弾こう、と思う人は楽譜を買うよね。
しかしこの本にはソナタが50曲もはいっているのだ。
そして巻末にはスカルラッティのプロフィールっぽいのも載っているから、読み物としても使える。
スカルラッティについて新たに知ったこと
スカルラッティについては今までイタリア生まれの人、という認識しかなかったのだが、この読み物のおかげで知ることができたのは、
- スカルラッティ、バッハ、ヘンデルは同い年でみな1685年生まれ。日本では江戸時代にあたり、生類憐みの令が発せられた年である。この頃から日本では元禄文化が花開くのだから、西洋でも日本でも、人々は芝居をみたり音楽を楽しんだり、結構いい時代だったのかもしれない?
- スカルラッティのお父さんは息子の才能に賭け、過干渉だったようで、このあたりモーツァルト親子と似ている。
- スカルラッティは夜会でヘンデルと腕比べをしたが、オルガンではヘンデルに敗れ、チェンバロではスカルラッティが勝った!
この本でも資料がなくわからない、とされているのが、突如スカルラッティがナポリ音楽界から消え、ポルトガルに現れたことだそうだ。
そしてポルトガル王女に音楽を教え、彼女がスペイン宮廷に輿入れしたのをきっかけにスペインに移り、マドリードで没している。
性格的にはバッハよりもスカルラッティ派
以下、私と夫ちゃんの会話。
「ねえ、昔はナポリからリスボンまで地中海を船で渡ったのかな」
「そりゃ、飛行機はなかったからね」(そんなんわかっとるわ!)
「スカルラッティはきっと職を求めてリスボンへ移住したんでしょうね?」
「ちょうど今、才能のある人はアメリカへ行くみたいなものでしょ?
それに17世紀ではポルトガルは先進国だったし」
ああ、ひょっとして日本もポルトガルみたいになるのか?
つかのまの脳内歴史探訪「南蛮のみち」をたどりながら、バッハもいいけれどスカルラッティも本当にいいよな、と思った。
バッハはどちらかというと、厳格・峻厳・敬虔と言った感じでしょ。
でもスカルラッティはもっと南国的で柔らかくて抒情的というのかな。
性格的に言えば私はまったくバッハ的でない。
スカルラッティ派といってもいいぐらいなのだ。
さあ、これから本腰を入れてスカルラッティを弾くかどうか?