アメリカ人が拍手を送った「七人の侍」
先日、やっとやっと、日本映画の金字塔といわれる「七人の侍」を見終えた。
じつは私、この映画を観たのは初めてだったのだ。
夫ちゃんからは
「えーーーー!! 見たことないの!!」
といつも呆れられていたのだが。
彼はアメリカに出張したおり、日本でいう名画座みたいなところでこの映画を観たそうだが、映画が終わったとき、アメリカ人観客が全員立ち上がって、スタンディングオベーションの拍手を送ったそうである。
それほどの名作なのに、日本人の私が見たことがなかったのはどうして?
単に機会がなかったから、なのだろうか?
三船敏郎さんを誤解していた
これまで私がこの映画にさほどの興味を抱かなかったのは、三船敏郎さんへの偏見もあるかもしれない。
私の子ども時代、三船敏郎さんは世界的大スターであると同時に、三船美佳さんのお母さんとの不倫沙汰で週刊誌を賑わしていた。
私は週刊誌は読まなかったが、新聞の見出しでそれらを熟知していたのである。
そして子ども心に
「けしからん奴やなぁ」
と思っていた。
また、TVの「忠臣蔵」では、三船さんは寡黙な大石内蔵助を演じており、子どもの私にはその渋さがわかりにくかった、というのがあるかもしれない。
しかし「七人の侍」では三船さんは、破天荒な菊千代を演じ、ふんどし一丁で泥だらけになりながら駆け巡る、飛び跳ねる、荒くれ馬を乗りこなす・・・
ああそうだった、確かに聞いたことはあったのだけれど、三船敏郎は超一流のアクションスターだったんだ!
どうして私はそのことを忘れていたんだろう?
懐かしい役者さんたちが勢ぞろいしていた「七人の侍」
私は「七人の侍」の主役は三船さんだと思っていた。
しかし、主役はどちらかというと、侍や農民をまとめあげるリーダーの勘兵衛を演じた志村喬さんではないだろうか?
その他の出演者としては、私の子ども時代、さかんにテレビドラマに出演していた役者さんが多数でてくる。
今ではみなさん鬼籍に入られたが、懐かしい顔ぶれである。
特に歌手でもあった左卜全さんの「老人と子どものポルカ」は、1970代に大ヒットした。
女性の生き方、せりふもかっこよかった
百姓の娘、志乃を演じた津島恵子さんも、数多くのドラマに出演していた。
「七人の侍」で志乃は侍、勝四郎と身分違いの恋に陥る。
将来のない恋に最初、志乃は悩むが、侍と百姓、野武士との決戦後、勝四郎への未練を断ち切り、彼に一瞥をくれることもなく、他の百姓たちと歌を歌いながら、田植えにはげむのだ。
潔くてかっこいいなぁ~
この映画の製作年が1954年(昭和29年)だったことを思えば、叶わぬ恋にめそめそする女性を描いてもおかしくはなかっただろうが、そうではなかったところに黒澤明監督の新しさがあると思う。
そして勘兵衛のせりふ、
「勝ったのはわしたちではない、百姓たちだ」
ホンモノのアクション、合戦シーンだけでなく、女性の生き方やせりふまでこの映画、「七人の侍」はかっこよかった。
ちょっと遅すぎたかもしれないが、それでも生きているうちに観られてよかったわ!