夢でささやくピアノ

クラシックピアノとジャズピアノの両立を目指す、ねむいゆめこの迷走記録

シベリウスの「樅の木」から大河ドラマ「樅ノ木は残った」へと移りゆく思考

1970年のNHK大河ドラマ「樅ノ木は残った」の平幹二朗吉永小百合

シベリウスの「樅の木」の無料楽譜をゲットした

先日、ピティナステップを受けるにあたり、まずは発展2のカテゴリーに属するシベリウスの「樅の木」から練習する、と記事に書いた。

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練習開始の第一歩として早く楽譜をみてみたい、と気持ちばかりが先立つが、年末年始となかなか街まで出られない。とりあえずネットで探せる無料楽譜でまにあわせることにした。

ネットの無料楽譜だが、以前、チャイコフスキーの「舟歌」をネットから印刷してみたことがあるのだが、どうも書いてある和音と、聴こえてくる録音の音が違うようだった。不思議に思って楽器店で楽譜をチェックしてみたところ、案の定、無料楽譜の誤植だった。それ以来、基本的に無料楽譜は信用していない。しかし、今回は早く練習にとりかかりたいので、とりあえず、の気持ちでネットの無料楽譜をプリンターで印刷してみた。

館野さん演奏を聴いた印象と譜面が一致しない

さて弾いてみたところの感想:正直なところ、思ったより簡単だった。一応、初見で弾けてしまう。これがあの、館野泉さんが弾いている曲と同じとはとても思えない。館野さんの録音から、私は勝手に18分音符と32分音符がアルペジオとなって、ところ狭しと乱舞するような譜面を想像していたのだ。思うにこの曲のむずかしさは、いかに感情を込めて自分の解釈を音楽に反映させるかにあるのだ。指がまわらないとか、届かないとかの問題ではなかったのだ。

フィンランドの樅の木よりも日本の樅の木が気になるらしい

「思ったより易しいから、ああよかった」と思いきや、あまのじゃくな私はなんかスッキリしない。せっかくレッスンでみてもらって、暗譜して、ピティナステップを受けるからには、なにかもうちょっと、チャレンジングな曲に挑戦してみたくなったのだ。それにもうひとつひっかかることがある:それは「樅の木」ときいて想像するのは、シベリウスではなく、私にはやはり、ウチの庭にある樅の木であり、中学生のときにみたNHK大河ドラマ山本周五郎原作の「樅ノ木は残った」なのだった!

大河ドラマ「樅ノ木は残った」は豪華版だった

NHK大河ドラマを見なくなって久しいが、小中学生の頃、私はNHK大河ドラマのファンで欠かさず見ていた。1970年放送の「樅ノ木は残った」は主演が平幹二朗、女優陣は吉永小百合栗原小巻、とまことに豪華なものだった。そしてたぶん子どものときにはわからなかったのだが、タイトルの「樅ノ木」とは、仙台から江戸に移植した樅の木を指し、「なんでも知っているけれど何も語らない木」と主人公の原田甲斐が語っていた木なのだった。

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当時の大河ドラマは、歴史ファンの意向に沿った骨太でがっちりした構成、映画をみるような重厚感があった。それがいつのまにか、若い人気タレントばかりが出演して、史実よりも娯楽、エンターテインメントの要素ばかりになってしまった。全然つまらない、と思った私はいつ頃からか、さっぱり見るのをやめてしまった。

今年の大河「どうする家康」は私の好みにあうのか?

ところが、姉がいうには昨年の大河「鎌倉殿の13人」は、「史実と違うところも多いけど、脚本もよく役者さんも上手で面白かった」らしい。そういわれるとまったく見なかった私は損をした気分である。そしたら今年からは大河の視聴も再開しようか?「録画しといてちょっと見て、面白なかったら消したらええねん」と姉は言う。

なるほどと思い、私は「どうする家康」のサイトをのぞいてみた。すると幼少時の家康が、「人質ながらも楽しい生活」を送っていたとある。「楽しい人質生活!」もし司馬遼太郎氏が存命であったら、必ずや一言モノ申したであろう。

よってああ、シベリウスの「樅の木」にも、今年の大河ドラマにもいまひとつ食指が動かない今年の幕開けなのだった!