ワン・ツー・スリー・フォーでなくフォー・ワン・ツー・スリー
先日、スローバラードの「What are you doig for the rest of your life?」をジャズピアノレッスンで弾き終わったあと・・・
師は不意に、
「僕、まえにゆめこちゃんにフォー・ワンの理論っていわへんかったっけ?」
「フォー・ワンって?」
「どっかでちらってゆうてると思うけどな。
つまりな、僕らはみなワン・ツー・スリー・フォーって拍を数えるように習うやろ。
ワンが強拍でな。
でもちゃうねん。
こういう曲はな、フォー・ワン・ツー・スリーで数えなあかんねん。
フレーズのとりかたでがらりと印象は変わる
つまり私のような、ワン・ツー・スリー・フォーというリズムのとりかたでメロディーを弾くと、下のようになる。
ところが、フォー・ワン・ツー・スリーと唱えながら、同じメロディーを弾くと、
となる。
そしてフレーズとフレーズのあいだは充分に間(ま)をおかねばならない。
これ、どっちだってたいして変わらないと思う人もいるかもしれないが、試しに歌ってみると、あらら?
ワン・ツー・スリー・フォーは機械的、きちょうめんなクラシック的。
フォー・ワン・ツー・スリーは崩して歌うベテラン実力派歌手、下手をすると、素人のど自慢大会で、陶酔してバックとあわなくなっている一部の出演者みたいになるけど。
というわけで、だから私のは素人くさいのだなぁーと実感した。
しかし長年のクセというものは一挙には治らない。
それを聞いてからのレッスンは
私が「ドレミファソ#ラ シシラシ~」と弾く。
そこで師が高らかに「フォー・ワン!」と叫ぶ。
このワン!を充分に聞き終わってから
「シラシドシラ ソソファソ~」と弾く
師が「フォー・ワン!」と吠える。
この繰り返しである。
たまに私がワン!を充分に待てなくて、次のフレーズに行こうとすると、
「あかん、あかん!」
とダメ出しされる。
まったく知らない人がみたら、どういうレッスンなのだろう?といぶかるだろう。
波の音を想像するイメージ療法
またイメージ療法もよいかもしれない。
フォーで大波がガバっと立ちあがり、ワンでどぶんと海面を打ちつける。
ツー・スリーで波が静かになり、引き始める。
ふーん、そういうものか。
「海へ行って波を見てたら、ようわかるわ」
とも言われたけれど。
わが町にはシーサイドなんとかとかいって、開発された埋立地におしゃれなカフェなどもあるようだが、だいたいそういうのはコンクリートのブイやらがじゃまをして、自然な波は見られないのではないだろうか?
そう考えた私は、師のことばを実践するのは止めて、YouTubeで波の映像をみることにした。
でもゴーゴー、ザーザーという音ばかりが気になって、リズムどころではない。
まだ葛飾北斎の富獄三十六景を眺めているほうが効果がありそうな気がしてきた。
やっぱり北斎はすごいね。