ベートーヴェンの「狩の歌」、WoO 10-6
「やさしい4期の名曲集」では嬉しいことに、バッハの息子さんの「アレグロ」が2回目のレッスンで合格した。
ほっとしたよ。
ピアノに親しんでから通算50年近くにもなるのに、ソナチネ程度の曲がなかなか格しないなんて、プライドに傷がつくからね。
いや、プライドなんかもうないけど。
とにかく今回からはベートーヴェンの「狩の歌」WoO 10-6をやっている。
WoOはドイツ語「Werk ohne Opuszahl」の略で、意味は作品番号(Op.)がついていない作品ということらしい。
しかしこれはなんと読むんだろう?
先生はたしか「ヴェーオーオー」とか言っていたな。
でもドイツ語に興味が持てない私は、すぐに忘れるだろう。
だがこれはベートーヴェンの作品中でOp.(オーパス)がつけられなかったもの、つまりベートーヴェン自身が、「こんなんあかんわ。もうボツや!」とみなした作品につけられる作品番号と思えば、アタマにはいらないこともない。
それにベートーヴェン自身が気に入らなかったとしても、後世の人のお気に入りになる可能性もある。
かの「エリーゼのために」もWoO番号がつけられていて、59番だそうである。
左手オクターブで黒鍵と白鍵を打鍵する
とにかく「狩りの歌」WoO 10-6もソナチネ程度なのだが、実に細かいアドバイスをくださる先生なので、きょうもメモしなければ覚えられないほどの耳に痛いアドバイスをちょうだいした。
例えば左手がオクターブで、黒鍵と白鍵を打鍵する↓の箇所がある。
この場合、黒鍵を打鍵してからすぐ白鍵に移らないといけないので、白鍵はできるだけ黒鍵に近いところを打鍵しなければならないそうだ。
もし白鍵を手前のほうで打鍵すると(手前のほうがいい音がでるのだが)手の移動距離が数センチ長くなり、時間のむだとなるからである。
つまり↓のように、オクターブの白鍵は黒鍵に近いところを狙うべし、ということか。
手が小さいのではなく、開かない
ところがなぜか、私が黒鍵に近いところの白鍵をオクターブで弾こうとすると、小指とか親指の脇腹(?)が鍵盤に触れそうになる。
じっさい押さなくてもよい鍵盤からわずかながらでも音がでてしまい、濁った音になるのだ。
つまりはオクターブが弾くには手が小さすぎるということ?
先生が私のそばに寄ってきて、
「おかしいですね。
手の大きさからいうと、ねむいさんの手はそんなに小さくないんですけどね」
と言う。
つまり、手が開いていないということか。
ショック!!である。
手を拡げる秘策は姿勢にあり
「手を拡げるには姿勢も関係します」
と言う先生。
つまり首を下向きにせず、首や肩に力がはいっていない状態だと手が拡がりやすいそうだ。
おお、また姿勢か!
結局はジャズピアノの先生が言っていることと通じるものがあるらしい。
私は鍵盤を見つめるのを止め、前方を眺め、ひたすら脱力を心掛けて何度か黒鍵・白鍵のオクターブを繰り返した。
うまくいってクリアな音がでるときもあれば、狙い損じて濁った汚い音がでることもある。
私はオクターブに特化した練習番号があるのは、ツェルニー30番だったか40番だったか?と思い、先生に聞いてみたが、
「そんなのやらなくてもこの曲で練習すればいいですよ!」
と言われた。
そうか。
その場で練習すればいいのだ。
どうも私はすぐ、問題解決のための問題集とか参考書を探すクセがついているようだ。
よし、これからは毎日この箇所を千本ノックだ!と思ったら、
「やりすぎて手を痛めないように」
と先生に言われた。
そうそう、過ぎたるは及ばざるがごとし。