フォークルの曲が耳について離れない
きのう「悲しくてやりきれない」について書いたら、きょうはアタマのなかがザ・フォーク・クルセーダーズのヒット曲でいっぱいになってしまった。
長年、彼らのことなどすっかり忘れて、クルセーダーズといえば、ジョー・サンプルのキーボードがファンキーな「ジャズ・クルセーダーズ」しか思い浮かばなかったのに。
悔恨の意を込めてザ・フォーク・クルセーダーズ(以後、フォークル)の曲を片っ端から聴いて見たら、こんなオリジナリティーに溢れたグループはもう出現しないのか?それほど今の日本は元気ないんか?(ないと思う)とちょっと暗い気分になった。
以下、いつもだいたいそうだが、きょうはさらに自分のために書いている感が満載の回顧録である。
デビュー曲「帰ってきたヨッパライ」
まず、鮮烈なのは彼らのデビュー曲、「帰ってきたヨッパライ」だ。
これは1968年のミリオンセラーということなので、私はまだ小学生だったはず。
しかし早回しのテープからつくられたおかしな声、飲酒運転で死んだ男が天国でねーちゃんと酒を楽しみ、神様に叱られて天国から追放される、というストーリーは子どもにも大うけした。
「天国よいとこ一度はおいで 酒はうまいし ねーちゃんはきれいだ」
のサビは忘れたことがない。
しかし飲酒運転をちゃかしているようなこの歌、今だったら放送禁止にならないのだろうか?
発売中止となった「イムジン河」
お次は第二弾の「イムジン河」。
元歌は北朝鮮生まれの歌らしいが、フォークルのはメロディー、リズムが微妙に異なっているらしい。
どんな曲かというと、南の祖国に帰れない青年が、国境にしばられることなく自由に飛ぶ鳥に対し、「誰が祖国を分けてしまったの?」と問いかける歌。
ソ連も東西ドイツも崩壊してしまったのに、朝鮮半島だけは当時と変わらないんだね。
誰かなんとかしてくれんか。
案の定というか政治的なメッセージがたたって、レコードが発売中止の憂き目にあったという、いわくつきの歌である。
あの素晴らしい愛をもう一度」は修学旅行の想い出
「あの素晴らしい愛をもう一度」は1971年にリリースされた加藤和彦・北山修連名の曲。
したがってフォークルの曲としていいのかどうか迷ったのだが、まあええわ。
私がこの歌を初めて聞いたのは、彼らの歌ではなく、中学の修学旅行のバスの中で、歌声の主は女生徒みんなの憧れの的、A君であった。
神戸の公立中学に通っていた私たちは、「きぼう号」という修学旅行専用の列車に乗り込んで10数時間(?)ほどかけて上京し、都内では貸し切りバスで東京タワーなどの名所を廻ったものである。
A君の歌が格別うまかったのかどうかについては、残念ながら覚えていない。
しかし私は当時の流行の先端であるフォークルの歌を、堂々と歌える都会的センスあふれるA君に圧倒されたのだった。
このシングル盤、大事にしていたはずなのに、断捨離してしまったのか?
現在も活躍中の北山修
フォークルのメンバーである加藤和彦は自ら命を絶ち、はしだのりひこも闘病の末、亡くなってしまった。
残ったのは北山修だけ。
現在は精神科医として活躍されているようだが、
「一見役に立たない、意味がないと思われているものに、非常に重要な機能があるというのを指し示すことが僕の仕事であり宿命です。」と述べているらしい。
天国にいる加藤和彦やはしだのりひこも、「そーや、そーや」とうなずいているのだろうか?